会社はチームと信じるなら - 『経営者に贈る5つの質問』

会社という組織、マネージメントという役割り、そして自分という個人

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『経営者に贈る5つの質問』 - を会社という組織を構成するメンバーの立場で読んでみて、経営者の考えを知ることは、チームを率いる監督の考えを確認する作業に似ていると強く感じています。

チームプレーを良しとする体育会系で過ごした時間が長かったからか、物事の考え方にもともとそうした傾向があるのか - 私には自分やチームメイト、果ては相手チームの状態を見てその時必要な行動を判断しようとする癖があると思っています。

スポーツチームの一員であることと、会社員であることが単純に同じになるとは思っていませんが、会社という組織をチームと捉え、仕事をチームワークで進め、仕事という名のチームプレーを楽しみたいというような感覚があるように感じています。

言い換えると…
マネージメントという役割りに、自分という個人の力でどう応えればよいかを探していると言えるでしょうか?

組織力 = チーム力だろうか

たとえばサッカー、ラグビー、野球、あるいはバスケットと、チームで競う球技はどれもフォーメーション、パスとバックアップが基本です。

たとえば野球のキャッチャー。ショートゴロがショートとファーストの間でさばかれるとき、キャッチャーはファーストのバックアップに走る。ランナーがいるいないの状況を判断しながら、バックアップに走る。One for Allがそんな形で現れるのがチームプレー。

そして何より、チームの目的とメンバーそれぞれの役割がはっきりしている - フォーメーション - のもチームプレーの特徴のように思います。フォーメーションは言わば、 チームとしての約束事。

職場でもそれと同じで、行く方向や目的、時にはお互いの役割が決まっていれば、誰かの窮地を救ったりそのカバーをさらに、バックアップしたりという連携プレーができるはず - そんな感覚があるのです。ただ、それを仕事の上の手応えと感じるのは、もうかなり古い世代の話しなのかも知れませんが・・・。

社会全体が職場にかける時間や労力が多すぎたせいか、労働時間の短縮や効率を追求してきた結果か、かつての相互の連携は少しずつ分断されてきているように感じます。個人・個性を尊重しながら、その力、成果をひとつの組織へとまとめていく - それが私たちが求める理想だとすれば、当然のことかも知れません。

ただややもすると、バックアップを無駄とか非効率と認識しようとする傾向がどこかにあるような気がするのですが、どうでしょう?
そんな感覚があるので、チーム力の復権を望みたくなっているのでしょうか?

社長の思いを実現するのが仕事だとしたら
(c) Can Stock Photo

かつては「はじめに組織ありき」、今は「まず個人ありき」?

うっかりすると仕事に対する自分の好みを周囲に押しけることになりかねない、それは十分に気をつけなければいけないと思っていますが、社長と社員、監督とチームの感覚は、この著書の言わんとするところをうまく捉えてくれるような気がします。

この著書の冒頭 「はじめに - シンプルな質問ほど答えるのは難しい」 にこう語られています。

  1. われわれのミッションは何か?
  2. われわれの顧客は誰か?
  3. 顧客にとっての価値は何か?
  4. われわれにとっての成果は何か?
  5. われわれの計画は何か?

(中略)

心を燃え立たせるもの、それによって世に憶えられたいものがミッションである。

ややもすると私たちは、仕事を進める上での手順 - 指示と報告・連絡・相談のタイミングや方法 - あるいは手続き - 勤怠に関する報告や書類の作成 - に終始しているばかりで、ドラッカーが”経営者に贈る言葉“としているものを意識することもないような気がします。

それこそ、個人の仕事観が決めることだという考え方もあるかも知れません。
自分が会社は何をミッションとし、誰を顧客として、どんな価値を届けるのか、何を成果として評価するのか、そのためにどう行動するのかを社員に伝え、統一するのが経営者の責任で、その指示に従って正しく行動するのが社員の責任だと。

それが問題ある考え方だというのではないのです。どんな考え方にも、会社(経営者)が目指す目的地に向かうための行動、会社が求める行動ができているだろうかという視野が必要なように感じるのです。トップダウンとボトムアップのバランスと言えばよいでしょうか。

3つ目の質問 「顧客にとっての価値は何か?」 を語るページ、ドラッカーの言葉があります。

組織の多くは、あまりに自信をもち、あまりにミッションにコミットしてるがゆえに、ややもすれば自らを目的視する。官僚的思考の極みと言うべきである。その結果、「顧客に価値を提供しているか」ではなく、「規則に合っているか」を考える。こうして成果をあげられないどころか、ビジョンも献身も雲散霧消させている。

(中略)

組織の多くは、いかなる価値を提供するかについて、それなりに考えてはいると言う。ただし、その少なからざるものが、顧客の側から見た価値ではないと言う。自分たちが勝手に考えたものを前提にしている。

ドラッカーの質問を、たとえば、社員(=チーム)がそれぞれの役割りに集中できる目標を与えているか? と言い換えることができるように思います。会社(=監督)に対する質問です。

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もし、会社が、社員がそれぞれの役割りに集中できるよう、明確な目標を示そうとしているとしたら、その示されたものを社員の側は、(個人の仕事観と照合しながらだとしても)目標を正確に理解し、自分の役割りを全うしようという発想で受け止めたいと思うのです。5つの質問ひとつひとつに対して、それぞれ同じように。

もうかなり古いと感じる私の感覚がもし、このドラッカーの理論を理解する助けになるとしたら、経営者に贈られる言葉はあまり大きく変わっていないということになるでしょうか? 私自身は、自分の捉え方が個人の感覚にかたより過ぎているかも知れないということを忘れないようにしなくてはいけないでしょう。

会社員の一人だからこそ、自分の会社の経営者がこの5つの質問にどう答えるだろう - それを聞いてみたいと感じます。

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