自分も知らない自分の力 - 『脳を活かす仕事術』 その2

とどまることのない情報処理

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目が覚めているというそれだけの状態でも、窓から射す光を目に感じ、部屋の空気の暖かさや寒さを感じますね。テレビに朝のニュース番組がかかっていれば、アナウンサーが読み上げる原稿の内容が耳から入ってきます。コーヒーを入れるとその熱がカップを通して手のひらに伝わってくるし、香ばしい味と一緒に唇から舌、喉をたどって身体を暖めてくれます。それに、カップから立ちのぼる湯気やコーヒーの香りは心に癒しを与えてくれるでしょう。

私たちの脳は、持ち主の私たち自身が意識するしないに関わらず、目、耳、鼻、口、肌のいわゆる五感 - 視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚 - を使って休むことなく情報を取り入れてはその情報を処理している。そう考えると、脳の機能にはやはり計り知れないものがあるなと感じます。

ゲームを楽しむ脳の力
(c) Can Stock Photo

なぜこんなことを考えているのかというと、脳の働きや精神生活というものに不思議を感じる経験をしてきたり、自分自身でも、覚えたいことややってみたいと思うことが次々と出てくるのはなぜだろうと思ったりするようになったことがきっかけです。特に、茂木健一郎さんの『脳を活かす仕事術』との出会いが考えることの面白さを感じさせてくれているという面もあるかも知れません。

それこそ、読み進めるうちに、今まで気がつくことのなかった自分の中の自分を感じられそうな気がしてくるのです。

この著書の仕事の目的は「情報整理」ではなく「知的創造」と題する章にこんなことが語られています。

・・・研究員として働き始めた時にふと気がつきました。自分の本来の目的は「情報を整理すること」ではなく、「知的な創造性を最大限に発揮すること」。そして、仕事を通じて「生命の輝き」を放つことだったのではないか、と。
ちょうどそんな時に出会ったのが、ケンブリッジ大学の恩師ホラス・バーローの整理術でした。

(中略)

ホラスは、なぜ手紙を簡単に捨ててしまうのでしょうか。それは脳のポテンシャル(潜在能力)を最大限に発揮するには、「情報の整理や暗記に頭を使わないこと」を重視しているからです。

細かい情報は破棄した方が、脳の活動のほとんどを “思考” や “創造” にあてられる。小さな情報を毎日整理し続けるよりは、脳の力を知的な創造に注力したほうがはるかに効率的だと考えたわけです。

(思考という)ある目的の精神活動のために脳のポテンシャルを最大限に発揮できるようにしようと思ったら、小さな情報は破棄しなさい - そんなふうにも読めるこの話しは、脳が持つ力というものは、使おうとするとき(使おうとする意識が働くとき)の力と、脳自体が働いているときの力が違うのだと言っているように思えます。

あるいは、アスリートがトレーニングを重ね、コンディションを整えて大会に臨むのと同じように、(思考という)ある目的の精神活動を行うためのコンディション作りが欠かせない。その調整なしでは、脳は力が出せないのだと言っているようにも思えます。

もしかするとそのどちらもが正しい理解なのかも知れません。ただ、そうだとするとなおさらに、自分の脳を思うように使いこなすのはむずかしいことに思えてきます。なぜなら、精神生活ということを考えてみても、論理的な思考と音楽や絵画のような創作活動をする時の思考 - これを思考と呼んでいいのかどうかは分かりませんが - というような、タイプの違う活動があるのだろうと思うからです。

五感は常に働いている、その五感から入ってくるシグナルの一切を遮断して思考に集中するというようなことができるのだろうかと直感的に感じるからです。

私たちが何かに集中しているとき、脳の活動は、私たちが働かせている部分と脳が自分で働いている部分とがあって、その2つがある一定の割り合いでバランスしている状態になっているような気がします。オペラで例えるならボーカリストとオーケストラの関係、それが私たちが働かせている部分と脳が自分で働いている部分の関係ではないかと思います。

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この理解やイメージを確かめられるようになるまで、この学習を続けていけたら面白そうだと思います。

自分の中の可能性 - この年になってもまだ可能性と言えるものがあるのかどうかは分かりませんが^^; - とか、脳の働きの不思議をより身近に感じられるだけでも、もう少し今の自分の脳とつき合っていけそうな気がします。

ネットやパソコンを使って情報を整理することの本質は 「脳の記憶回路の負担を減らす」 こと。それさえ達成できるなら、どんなツールを使ってもかまわないでしょう。

この一節のように、ネットやパソコンの助けを借りなければ、自分が目指す思考に集中できない、脳のポテンシャルを引き出すことができないというほど、現代社会にあふれる情報の処理に私たちの脳は苦労すようになっているのだろうか・・・そんな悲観的なことを考えさせるシグナルもあるように感じますが、私の脳はどんなことを学び取ろうとするか、最期まで読んでみたいと思うのです。

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