地球に聞いてみるぼくらのいる場所 『世界がもし100人の村だったら』

大きな世界 - インターネット?

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もうこの著書が、かれこれ15年近くも前に出版されていたものだった?! - それが不思議に感じる、胸の奥に届くメッセージを乗せた一冊です。

手紙を入れ、コルクで固く口を閉じて海に流されたガラスの瓶 - 波間を漂っていたその瓶を手にしたような感覚になったと言えば少し大げさに過ぎるでしょうか。 私は、PCやインターネットと付き合うようになってもうずい ぶん長い時間がたっているような気がしていたのですが、この著書に出会ってみると今さらのように、自分が立っている場所がインターネットという世界の側から見れば、ほんの入り口なんだなぁと感じています。

そして普段、途方もな く大きな世界だと感じているインターネットの世界も、電気やPC、スマートフォンやiPhoneをなどのモバイル製品を中心にした “つなぐ道具”、イン ターフェイスを持った人たちだけの限られた世界なのだとしたら。

インターネットの世界を否定したり賛美したり、あるいはこの著書に感じるものを誇大に評価しようとするのではなく、自分のいる場所を客観的に感じることができないものかと感じます。

インターネットの大きさを超えるもの

インターネットの世界が如何に大きなものか、時間の流れを加えればさらに深いものかと感じるのですが、

今朝、目が覚めたとき
あなたは今日という日にわくわくしましたか?
今夜、眠るとき
あなたは今日という日にとっくりと
満足できそうですか?
今いるところが、こよなく大切だと思いますか?

When you wake this morning,
did you look forward joyously to the day?
When you go to bed tonight,
do you think you will be filled
with satisfaction?
Do you think the place you are
is precious?

世界は大きくて、小さな、ひとつの村
© Can Stock Photo Inc./ultrapro

そんなふうに始まるこのメッセージは誰が誰に向かって発したものなのだろう - 何より最初に感じるのがそんな気持ちです。

そして、その答えを求めるよりも、ごくあたりまえの、「確かにそうなのだろう」と感じる世界の姿が、普段テレビや新聞、インターネットを通して触れている世界の情報 - 文字や画像、動画 - に重なって見えるのです。原文にしてもわずか数百ワード、日本語も50ページになるかならいかの数百文字の中に。

すべてのエネルギーのうち
20人が80%を使い
80人が20%を分け合っています

75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人は
そうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません

Of the energy of this village
20 people consume 80%, and
80 people share the remaining 20%.

75% people have some supply of food and a place to shelter them from the wind and the rain. but
25 do not. 17 have no clean, safe water to drink.

その答えはもしかしたら、この100人の村のお話しのもとになったと言われている Ms. Donella H. Meadows の State of the Village Report やそれ以前に遡ってみないと得られないものかも知れません。ただ、何を感じるか、まずこのレポートに並んでいるメッセージを読んでみてもらいたい - そう感じています。

This material is copyright-free. You may reproduce it.

そう記して発信されている Meadows 氏は、ちょうど Twitter におけるリツィート・拡散と同じように、ここに綴られている言葉をみんなが共有してくれることを望んでいたのだと感じています。そう感じたから、この著書を読んでインターネットのことを思ったのだろうなと思います。

私が拾い上げたも、15年前のツイートだったのだのかも知れませんね。

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文字数を少なくし、発信される情報を凝縮しようとすると、誤解も生まれやすいと思うのですが、どうでしょう?

私はこのメッセージを信奉しているわけではありませんが、世界の実情や自分のいる場所をごく冷静・客観的に知り、理解し、必要なときにはそこから判断する - 私たちはそうした人間らしさを実践することができるはずだと言われているような気がしてならないのです。それがはたしてできているのだろうかと。

何ができるのか、何をするべきなのかは分かりません。けれどまず、知ることはできると思うのです。

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