大人のための切ないおとぎ話し 『世界から猫が消えたなら』

ちょっと不思議だけれど、大切なもののお話し

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自分は何のために生まれてきたのだろう
何のために生きているのだろう
誰もがどこかで出会いそうなそんな疑問に

『親孝行したいときには親はなし』そんな昔から言い尽くされてきた口に苦い教訓をブレンドした、大人のためのおとぎ話しです。

お話しのはじまりは、死というものを描くにはどこか軽すぎると、違和感や、人によっては不快感を感じさせるかも知れません。

けれど、せっかく開いた本。少しだけ時間をかけて読んでみてください。

神は月曜日から日曜日への7日間をかけて世界を作られた
その旧約聖書の教えをたどるように、7日間をかけて、自分にとって一番大切なものにたどり着くお話しです。

大切なものほど、なくなってはじめてその大切さが分かる

確かに、15年、20年前には、その言葉のままに『親の心、子知らず』という自分の未熟さを素直に受け入れ、『親孝行したいときには親はなし』の後悔をしなくてすむように孝を尽くさなくてはいけないと説教されたものでした。ところが現代の私たちはこの物語に出てくるような悪魔にでもなければそうしたことを教えてもらうことができない、語られたとしても素直に耳を傾けることができなくなっているかも知れません。

もし、そんな、自分を見直したい気持ちになることがあったなら、何度でも読み返したいと感じる物語です

1日1日、いちばん大切と思うものをこの世から消さなくてはならない。消されてしまうのではなく、自分で消さなくてはならない。

明日には死んでしまうという自分の命を、その大切なものと引き換えに1日ずつ延ばしてもらうために。

世界から電話が消えた。
よく考えたら電話(特に携帯電話!)なんて、最も消したいものだった。
特に最近は、朝起きてから寝る直前まで携帯を触っていた。本を読む量が減った。
新聞も読まなくなった。観たい映画もたまる一方だ。

(中略)

携帯はその登場から、たったの二十年で人間を支配してしまった。なくてもよかったものが、たった二十年で、なくてはならないものかのように人間を支配している。人は携帯を発明することにより、携帯を持たない不安も同時に発明してしまった。

そんなふうに、私たちの生活を支え、大切な人と自分とをつないでくれる携帯電話を消すところから、大切なものを確かめるお話しははじまるのです。

誰かがどこかで同じことを言っているのではないか、どこかで聞かされていた話のような気がする - そんな感覚が連続するので、15年、20年前の昔を思い出したのかも知れません。逆に言えば、そんなあたりまえのことをもう一度確認したい、あのときのあの人の言葉は何だっただろうと探すような感覚で読めるお話しと言えます

世界から何かが消えるという事象と、そこに関連するリアリティはまったく別物なのだと思う。

(中略)

何より心が痛んだ。映画を愛していた彼女、全世界の映画を愛する人々。そのすべてから映画を奪うのだ。罪は重い。
とはいえ僕という存在があって、はじめて相対的に映画が存在するわけで、まず僕の生命がないことにはどうしようもないのだ。生きていなければ、映画を楽しむことはできないわけだし、彼女や映画を愛する人々とその素晴らしさを分かち合うこともできないのだから。
僕は決意する。映画を消そうと。

主人公が消した、電話映画も、主人公と主人公が身近に感じる大切な人 - 彼女 - をつなぐものでした。

比べてみて、自分の生命の方がまだ重いと思えるものを消してゆくのです。
それがなくても、まだ生きていけると思えるものを消してゆくのです。

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そしてさらに翌日の木曜日には時計を消して、金曜日、飼いのキャベツを消さなくてはならないことになったとき、亡くなった母が大切にしていたその猫を消すことはできないという結論を下すのです。

悪魔が選ぶ大切なものを消さなければ自分の生命が終わってしまうどこか淡々と、どこか軽快にさえ感じる語り口で、どこかあり得ない、けれど逃げるわけにはいかない重い課題に向き合う覚悟を教えてくれる - そんなお話し、そして、ほろ苦い感触といっしょにこのことを学ばなければいけなかったのだという喜びを感じさせてくれるお話しです。

あなたは何を感じるでしょうか?

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