世界の確かさを見つめるとき - 『密やかな結晶』

『密やかな結晶』 - その世界観は

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今回紹介する作品は小川洋子さんの「密やかな結晶」。初版1994年といいますから、もう25年も前の作品です。

小川洋子さんと言えば、映画化された 「博士の愛した数式」 をご存知の方も多いだろうと思いますが、その作品よりも9年早く発表されていたのが、この「密やかな結晶」。

著者が描く作品は、現実とか非現実という言葉を思い出させるものが多いように感じているのですが、もしかするとこの「密やかな結晶」は、そうした著者が描く世界観を端的に知ることができる作品のひとつかも知れない - 読み終えて、そんな感想を持っています。

消滅に支配された世界

いったい何のことを言っているのだろう - そんな違和感を感じさせながら、この物語ははじまります。

この島から最初に消え去ったものは何だったのだろうと、時々わたしは考える。

(中略)

「・・・島に住んでいる限り、心の中のものを順番に一つずつ、なくしていかなければならないの。たぶんもうすぐ、あなたにとっての最初の何かをなくす時が、やってくるはずよ」

生活の中、手の触れる身近なものがひとつ、またひとつと消えてゆく、消滅に支配された世界。物語はそうした消滅という現実を淡々と受け止めていく主人公と、主人公を取り巻く時間の流れの中を進んでいきますが - リボン、香水、鈴、オルゴール、エメラルド、ハーモニカ、鳥・・・ と消滅が進むごとに、その世界の異常さと、消滅をごく当然のこととして受け入れようとしてゆく人々の間に何か大きな隔たりのようなものを感じるようになります。なぜなら、そうした現実の「がなくなることは、その物にまつわる記憶がなくなっていくことを意味しているからです。

物の消滅、記憶の消滅。そのふたつを密接につなげ、人々の記憶を管理しようと記憶狩りを繰り広げる秘密警察なるものの存在が大きくなるほどに、感じる違和感はますます大きくなります。

消滅は、地図、カレンダー、写真へと続いてゆきますが、主人公の知人R氏は正常な記憶の持ち主。そのR氏を秘密警察から守るため、自宅を改造して匿うようになると緊迫の度合いが高まります。そしてさらには、小説家である主人公にとってはなくてはならいはずの小説も消滅してゆくのです。

写真_思い出を残す
(c) Can Stock Photo

「博士の愛した数式」は、自分に置き換えて登場人物の思いや言葉の意味に思いを巡らすことができる物語、そんなゆるやかさや優しさを感じながら一緒 に歩くような感覚で読める作品だと思いますが、この「密やかな結晶」は、そうした親近感や安心感を求めることはむずかしいだろうと思います。

徐々に、ページを先へ先へと急ぎたくなるような、緊迫感が増してゆくストーリーを、ライトホラーと呼びたくなる方もいるでしょう。そして誰もが、読み終えてはじめて、物語の意味を振り返ることができるようになるのではないかと思います。

失うということが示しているもの

少しずつ高まる緊張感の中で読み進める物語ですが、日常の生活や私たちの世界観はとてもたくさんの物が集まってできている - そのことを再確認させられる物語でもあります。

リボン、香水、鈴、オルゴール、エメラルド、ハーモニカ、鳥・・・地図、カレンダー、写真、本・・・私たちの記憶 - 思い出 - とか日常の生活の中で持つ感情や判断力といった、精神生活のすべてが、そうした数えきれないものでできているということに気づかされるだろうと思います。

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思い切った言い方をするならば、私たちの存在 - 時間と空間 - を形作っているものがひとつずつ失われていく様子だと思ってみると、消滅の世界の異常さが分かるだろうと思うのです。異常さと同時に、きっと、現実世界の愛おしさを確かめることができるのではないかと思うのです。

R氏を匿い、ともに暮らしたおじいさんが亡くなり、その生命を想いながら消滅を語る場面がありますが、その別れさえあたたかさを感じるのです。

意味を求めることなく、はたして何を感じるだろう - どんな先入観も持たず、心を静かにして読んでいただきたい1冊です。

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