自分を超えられるか、その答えは - 『100%』

命や終わりを意識できる今だから響く言葉

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今日があなたの人生の最後の日だったら、どういう顔の表情をしたいだろうか。
しかめっ面を一瞬でもするのだろうか。
口角を下げながら過ごすのか。
それとも、最高の笑顔を周りの人たちに見せながら過ごすのか。

どういう心で過ごしたいのだろう?
どういう気持ちを抱きたいのだろう?
どこに行きたいのだろう?
そこで何をしたいのだろう?
どうしても見ておきたいものは何だろう?
どうしても聞いておきたいものは何だろう?
どうしても経験しておきたいことは何だろう?
最後に食べておきたい物は何だろう?
どうしても伝えたいことは何だろう?

今日があなたの人生の最後の日だとしたら・・・・・・。

今、この歳になったからこの言葉が響くのだろうか - 私はそんなことを思いながらこの著書を読み終えました。

“無限の可能性があるのだから恐れずにどんなことにも挑戦して自分を実現しなくては” と10代の終わり、20代のはじめのころに年配の先輩、あるいは恩師からもらった言葉も、”少年老い易く学成り難し” という戒めも、胸のどこかにひっかかっていて、そうした戒めに真正面から自分の言葉で自分の人生を説明できるような生き方をしなくてはいけないはずと、自分の答えを探してきたような気がしていたのですが。

命とか終わりとかいう言葉を意識の真ん中に近いところに感じるようになって、その探してきた答えは本当に探していたものなのかい? と言われているような感覚を持っています。

 

自分たちは限られた命の有限な存在。だから、”無限の可能性の中から” 1つを選ばなくてはならない。たくさんのものを両手いっぱいに抱えたところで、広く浅くは自分のタイプではない。虻蜂取らずに終わるくらいなら、たとえ失敗しても1つに集中している方があきらめがきく。

そして、すべてが自分が選んだことなのだという覚悟があれば、”後悔先に立たず” の轍を踏むことはないはずだ - けれどそもそも何のために?? その疑問をもう一度問われているような感じです。

yes, we can get over ourself
(c) Can Stock Photo

労働報酬ではなく、実績報酬にしよう!

時間が自由になれば、次は場所の自由を確保しておきたい。

結果が出せれば、その結果は事務所で出しても、ほかの場所で出しても、同じである。
時間と場所ではなく、結果を出すことに集中している。

(中略)

家で仕事する道もあるはずだ。
これは会社にとっても好都合だろう。
電気代、机、椅子、場所代のすべては自腹なのだ!

この一説のように、語られていることの多くは方向性で、そのメリット、デメリットは問題ではない - 自由な時間と場所を得ることが自分に必要だと分かれば、”電気代、机、椅子、場所代のすべて” を自腹で払っても実績報酬であれば暮らしてゆけるのだ??? と保証してくれるように聞こえるこの話しは、しっかり眉に唾をつけて聞かなくてはいけないものだということが分かります。

ただ、その危ない、怪しい? 話しが言おうとしていることが分かるような気がするのが不思議です^^;

 

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不思議なのですが、本当はそうむずかしいことではないのかも知れません。ここには、私が自分自身に感じたそもそも何のために?? が語られているような気がするからです。

命や終わりを意識できるほどの歳になれば、そもそも何のために?? が見えてくれば、何をすればよいかも分かるはず。そうです、「そうは言っても」と、できるとか、現実は・・・とか異議を唱えられるということは、何をすればよいかが分かっている証拠。その裏返しです。

だから私も、自分なりの『100%』の意味をもう少し探してみようと思うのです^^

 

 

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