自分は正しいと誰もが思っているみたいだけど - 『育てたように子は育つ』

親は、子どもによって親にしてもらう?

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「育てるように子は育つ」というタイトルの著書の中にこんな一節。ということは?…

あんなにして
やったのに
『のに』がつくと
ぐちが出る

出典:相田みつを 氏書 / 佐々木 正美 氏著・「育たように子は育つ」

と思いながらこの言葉を読んでいると、私も父親によく似たことを言われたなぁと思いだします。
これまでしてやったことを返せ! と。今ではそれがいつだったのか、よく覚えていないのですが、成人してからのことじゃなかったかと思います。

言われたそのときは、いっしょに暮してきた間にあったことすべてを返せと言われたように感じたものですから、確かに何かの形で返さなくてはならないのだろうなと考えました。

そしてその一方で、私という存在を産んだことを両親はどうやって返すつもりなのだろう? と考えました。その責任を誰に向かって取るつもりなのだろうと?
そしてさらにそこまで考えて、それを口をして切り返し、返す返さないの問答をたたかわせることがえらくむなしいものになるだろうと感じたのです。

ほんの数秒の間に思ったことでした。
著書の一節はこんな言葉につながります。

親は子どもに、何でもしてやること自体が喜びである。子どもの笑顔を見ることが喜びである。本来そういうものであった。

ところが近年、そうでもなくなってきた。子どもが、自分の思い通りのことをしてくれた時にしか、喜びを感じなくなった親が増えてきた。すると幼い子どものほうが、親の喜ぶようすを見てほっとするようになった。やがて親が自分の子どもを育てることに負担を感じるようになって、子どものほうでも親の存在を重荷に感じるようになってきた。

父親はあのとき、何を言いたくて「返せ」と言ったのでしょう?
私が切り替えさなかったというのは、もしかすると、それ以上ない父親に対する反旗の翻し方になっていたのかも知れないとも感じます。

あのときの私は頭の隅で、どこから先・何が・誰に対して、親と子どもの間で負債になるなのか、きちんと契約をむすんでおけばこうした話しにはならないのかも知れないな、とも思いました。それだからこそ、そうした応酬による押し問答がむなしいものに感じたと言えます。

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親の父親がどんな思いの中で私を産んだのか、たぶん私には理解できないだろう。そういう経緯とか気持ちも含めて、当時目の前にいた私自身(子ども)への責任を親自身が負う… 今であればそんなふうに言葉にするだろうものを直感的に感じていたようにも思います。

子どもから親に向かって言えるものではない! というようなことを感じながら。

to be continued…

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