人間 vs. AI はどんな意味の対戦だった?
もう3年前後前のことですが、「将棋電王戦」という内容を伝えたニュースがありました。そのニュースを聞いたとき、私には一種の違和感がありました。
端くれのプログラマーだった私が言っても説得力に欠けるのは分かっていますが^^;
将棋電王戦でAIが人間に勝った⁉︎ ということは、 将棋の目的、将棋のルールの中で人間を越える計算能力 - プログラムを見つけた・完成させたということにつながるでしょう。
将棋にしてもチェスにしても、目的を決めて1と0、つまり二者択一を繰り返して考え得るベストの指し手を考える(計算する)というのであれば、プログラムの完成度が上がれば人間を越えるのはあたり前だろうと感じるのです。
いや、逆ですね。
そもそも、人間の指し手と同じかそれを越えることを目標にプログラムをしていたのではなかったのか - だとすれば AIが人間の棋士に勝った! ということは、そのAIの目的、存在意義を理解してから聞きたい - それが私が感じていた違和感です。
ポナンザと名付けられた将棋ソフトは何を目指して開発されたのだろう、それを理解して、違和感なく喜びたい - そんなふうに言ってもいいかも知れません。
インターネットで紹介されている棋士・羽生さんの言葉もよく似たニュアンスを伝えているように思うのです。
羽生善治は2014年9月のインタビューで「今年、電王戦でプロ棋士が負け越したことについてよく聞かれますが、勝敗そのものにはあまり意味はないと思っています」「そもそも人間同士の対局が、コンピュータ将棋のような指し回しにならないのは、多分に心理的な要素が働いているからです。コンピュータ将棋のように、その瞬間瞬間に対応しているのではなく、互いにこう指したいという大局的な意図が先にあるから、そこに駆け引きの妙味も生まれてくるわけです」と述べた[29]。
出典:Wikipedia・「将棋電王戦」
勝つことを目指した開発の次の対戦相手とは
たとえば別の言い方をするなら、
人間の脳の処理能力を測り、AIが使うメモリーやCPUの数、マザーボードの数、さらには電圧からアクセスできるビックデータの規模をその測定した(測定できるようになるかどうかも問題ですが)レベルに合わせて対戦する
つまり、電王戦自体も完成度を上げる、そうすることで「AIが人間に勝った」というニュースの意味も本来の 人間 vs. AI に近づくことができないだろうかと考えたりします。
思考回路はもちろん、人間の体にはさまざまストレスがかかります。
疲労はその代表的なものでしょう。
人間並み、あるいは人間以上を目指して開発された将棋ソフト(AI)であれば(その完成度が確認されたとなれば)、たとえて言えば、高速道路を選び、フェラーリと人間を比べ、東京から大阪までどちらが先に到着するかと言っているようなものになりかねません。
ドワンゴ会長・川上さんが言っている「役割りを果たした」という言葉にはそんな意味合いも含まれているように思います。
主催するドワンゴの会長川上量生氏は、「電王戦は、ドワンゴがこれから始めようとしたとき、これは将棋界の問題だけじゃなくていまの人間社会において、人間とコンピューターの関係はどうなのだろうか、ということを示すイベントだと思ってやって来きました。現状の人間とコンピューターが同じルールで真剣勝負するというスタイルは、役割を果たしたと感じたので、今回で終了することにしました」。
出典:endadget日本版
ソフト(AI)の棋士としての強さに磨きをかけるのであれば(すでに行われているようですが)AI同士を対戦させ、さらに新しいアルゴリズムを開発することになるのでしょう。
AIが示してくれる未来を私たちは描けるか
思えば、電王戦のニュースを見る私たちに問題があるのです。電王戦のニュース自体が分かりやす過ぎるとも言えるかも知れません。
繰り返しになりますが、人間並み、あるいは人間以上を目指して開発したソフト(AI)であれば、人間の同じ思考、行動をAIは超えてくれなければ困るのです。
「AIが動作するのに必要とするメモリーや電圧を人間のレベルに合わせる」という意味の例を挙げましたが、環境を整えてやれば、人間の棋士を越える能力を発揮させられるデジタル力(部品や電力、そしてプログラム)が実現したというのが情報に対する正しい理解でしょう。
AIの実力・性能というもの
たかが将棋⁈ されど将棋‼︎ 自ら学習するアルゴリズムを考え、実現した人間の発想はすごいものです。
AIは環境を整え、パターン化できる課題に合わせたアルゴリズムやプログラムの精度を高めてあげれば、人間を越える能力を発揮できる - それを見せてもらったのですよね。
ただ、将棋ソフトの勝利を挙げてAIの将来、人間との関係へと話しを発展させようとするなら、AIのサスティナビリティまで一緒に考えたいと感じます。AIが威力を発揮するには環境が必要です。当然と言えば当然。BMWにたとえれば、ガソリン、ディーゼル、あるいは電気か酸素のどれであろうとエネルギーなしに駆動力を得ることはできません。AIもしかり。
電気なしに力を発揮することができないAIはこの先、エネルギーを自足するところからはじめなくてはいけないかも知れません。
それにしても、これほどあれこれと議論したくなるのですからAIの持つ可能性は測りきれないものだと思います。