ほめて伸ばそうよ! 自分を活かすエネルギー? - 『脳を活かす仕事術』 その3

ダメ出しの中で育った世代だからこそ分かる不器用さ

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現代のようにひとりひとりの個性を大切にしたいと誰もが思う世の中になっていると感じるものの、自分たちにはどうもそうした素養が薄いのではないかとうつむき加減になりがちな気がすることがあるのですが、みなさんは大丈夫ですか?^^;

個性を尊重する - 自分を伝え受け止めてほしい、目の前の相手をしっかりと受け止め理解したい - そんな人間関係への憧れが大きかったにも関わらず、ダメ出しに育てられ、ダメ出しの中で大きくなったという感覚ばかりが強くて 「個性を尊重する」 ためにどう振る舞えばよいのか分からない、いやむしろ、どう振る舞えばよいか分かっているのに素直に表現できないといった方が近いでしょうか、自分たちはそんな不器用な世代だと感じることがあります。

そして、自分をアピールすることに一生懸命だった世代がこの頃ようやく覚えたことが、個性を尊重するということは一方通行ではあり得ないということ。相手を認め、受け止めることができて初めて、自分を主張することができるのだということのような気がしています。

不器用さが残してくれるものがあるとしたら

相手を認め、受け止める、そして自分を・・・というときに、はたして自分は自分をどのくらい分かっているだろうかとあらためて思ったりしているのです。

自分は何をしたいと思っているだろう、自分はどこへ行こうとしているだろう - 身辺整理というような言葉を意識したり、再確認ということを考えたりするようになって意識するのは、かつての自分とは違う、もう一人の自分です。

かつての自分はあくまで自分のための自分、けれど今は、相手あっての自分、自分を理解するための相手というような感覚の中で思う自分なのです。
この違い、分かってもらえるでしょうか?^^;

この、自分探しの感覚にひとつのインスピレーションを与えてくれたのが 茂木健一郎さんの 『脳を活かす仕事術』で語られている一節でした。

「創造性」と一言でいってしまうと、何もないところから新しいものを生み出す「錬金術」のようなイメージがあります。しかし、どんな天才でもゼロから生み出すことは絶対にできないのです。

実は「意欲のあるお年寄り」が一番強い

つまり、創造性は、側頭葉が作り出した「経験」と前頭葉が発信する「意欲」の掛け算よって生み出されるのです。

したがって、側頭葉の体験の蓄積が大きい人ほど新しいものを生み出せるし、前頭葉の何かをしたいという意欲が強い人もやはり創造性があるわけです。

逆にいえば、経験をたくさん積んだお年寄りが本気で意欲を出すことが一番すごい。

「自分は何をしたいと思っているだろう、自分はどこへ行こうとしているだろう」 その言葉がこの一節で語られている 「創造性」 という言葉に重なって見えたのです。
「何もないところから新しいもの(=自分)を生み出すことは、どんな天才でもできない」のだ、というふうに。

そのとき、意欲あるお年寄りになりたいと思うから

You have to know yourself, if you wish to tell yourself
(c) Can Stock Photo

どんな障害にも揺るぎない個性を持ち続けろと教わっても、その反対側では、出る釘は打たれるのだと諌められてきた - 良きにつけ悪しきにつけダメ出しありきの中で育ってきた私たち世代ですから、何が自分の経験だろうと自分を見直すことも上手ではないと感じるのです。

これが自分の経験なのだと客観的に自分を評価する - 認識するという意味で「認める」 - のではなく、まず標準偏差 - 世間の一般的なレベルとか、常識というもの - があって、そこから見下ろし比較する・されることに慣れているのです。うっかりすると 「できてあたりまえ」 ですから、「認める」どころではありません。「やることがあたりまえ」ですから、「意欲」どころではないのです。

もちろん、自分よりも全体のため - One for All - の精神は尊重すべきでしょう。しかし、まず否定ありきだったとすれば、周囲に対する自分たちの目、振る舞いもそんなふうになってしまっていないかという意識がどこかにあったようにも思うのです。

茂木さんの

「創造性」と一言でいってしまうと、何もないところから新しいものを生み出す「錬金術」のようなイメージがあります。しかし、どんな天才でもゼロから生み出すことは絶対にできないのです。

に続く一節は、積んだ 「経験」 が 「意欲」 と一体になったところに 「新しいものが生まれる」、そう読めませんか?

自分に限界を感じているとか、嫌気がさしているというようなことは決してないのです。何か新しいものである必要もありません。

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けれど、たぶんそう遠くない将来、まだ何度か、自分の人生を見直すときがくる、そんな気がしています。
そのとき、自分に対して、何を残そうとしてきたのか、どこへ行こうとしていたのかを話せる自分でありたい、そう思うのです。

そのとき、「本気の意欲」 なるものを持てているかどうかは分かりません。
けれど、かすかながらも自分で認めることのできる自分を話せるようになっていたい、そう感じるのです。

ですから、この数行の言葉が何か大きな勇気をくれたような気がしているのです。
(ちょっとウェットな読み方になっていたかなとも思っているのですが^^; 正直な感想です)

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