みんなで考える自分たちの働き方

「勤勉」という言葉が生きていた時代があった

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もう30年以上も前になるんだなと思うと何だかとても不思議な感じがするのですが、日本人という言葉と「勤勉」が結びついていた時代がありました。そしてそれと同じころ、あるいはそれより少し前の時代、ヨーロッパではドイツの人たちと「勤勉」という言葉・イメージにつながっていた時代もありました。

大学やドイツ以外の国の人たちが集まるドイツ国内の語学学校などでの経験に過ぎませんでしたが、アジアの日本、ヨーロッパのドイツは勤勉な人たちの国… というような言われ方をしていたのです。

そしてそれから10年ほどの間に、「勤勉」=「働き過ぎだ」と言われる時代になっていました。フランスやイタリア、スペインなどの友人たちが言うことでしたから、経済的な意味でのやっかみが多分に含まれているのかな? と感じたのを覚えています。

日本で国家公務員の給与法が改正されて、国家公務員の週5日労働(完全週休2日制)が実施されたのが1992年ですが、ドイツではそれより何年も前に週休3日が話題になっていました。ドイツの人たちを「働き過ぎだ」と言っていた友人たちが、「そんなに休んで生活が成り立つわけがない!」と、今度は逆のことを言っていたのも記憶しています。

日本の先輩たちも何かの目標があって頑張っていたのだろうと思います。
確かに「勤勉」という言葉が生きていた時代があったという記憶があります。その頃の目標はいったいどんなものだっただろうか? と思うのです。そして、今の自分たちはどうだろうか?? と。

今の私たちは何を目指して頑張っているだろう

2017年年末に発行されていたPRESIDENTに掲載されていた「スタンフォード大の人生授業」というタイトルの記事を読みながら、そんな疑問を思い出しました。

私の目に映る日本人ビジネスマンの働き方は、仕事が好きで働いているというよりは社会的な要請や周囲からの厚量と言ったものに働かされているという感じを強く受けました。

(中略)

ではどうすれば仕事における成果と幸せな生活、高度な人生の質を両立させることができるでしょうか?

出展:PRESIDENT・「プレジデント2017年12/4号

ここで語られている日本型のワーカホリックは仕事とプライベートを両立できるように改善されるべきではないだろうか? という提言が行われているのですが、そもそも私たち日本人は、その改善が必要だと感じているのだろうか? という疑問が湧いてきます。

「社会的な要請や周囲の圧力に働かされている」ように見えるのは、そうすることで社会的なバランスを取り、自分自身やひいては家族の生活を守っているという、もう一つの側面を忘れてはいけないはずです。

この指摘はこんなふうに続いています。

これは大変に難しい問題で、このような社会的要請というか圧力がある中で一人立ち上がり「私は労働量を減らします」「自分のために休みます」と宣言するのは大きな勇気がいります。ですからこの点を改善するのは個人の努力というよりもリーダー側の問題ではないかと思います。

確かにその通りだと言いたいところですが、日本人の感覚の中にも「(みんなの認識・社会の要請を変えることができるのは)リーダーの権限であり、裁量なんだ」という感覚はあるのです。あるにも関わらず改善しなくてはいけないだろうね… と言いたくなるかたより- 日本型のワーカホリック - に陥っているというところが問題なのだと思うのです。

そもそも私たち日本人は、その改善が必要だと感じているのだろうか? - という疑問の意味がここにあります。

だれの仕事? だれの責任? - 自分の問題じゃないの?!

リーダーの仕事だから・リーダーに任せている(つもりなの)だから、自分は自分の仕事に集中すればいいのだ… そんな潜在的な意識が働く側にもあるにはあるのです。にもかかわらず、改善しなければ… と言われているとすれば、「変わっていない」か「変えようとしていない」か。

リーダーという言葉が、会社における上司を意味しようが管理職を意味しようが、あるいは経営者を意味しているとしても、働き方の問題を「個人の努力というよりもリーダー側の問題ではないか」と言っていたのではダメなんだろうなと感じるのです。もう今が、そうした状態になっていると思うのです。

働く側は、リーダーたちにそうした「権限」や「裁量」をはっきしてほしいと思っているでしょうか?
リーダーたちは「権限」や「裁量」を発揮して、そうした変化をもたらすことが仕事だと考えているでしょうか?

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どう働きたいと思うか、どんな生活に幸せを感じるか - その思いを自分たちで共有しようとするような自分たちになるきっかけを見つけなければ「変えられない」ままじゃないのか… そんな危機感を感じるのです。

なんと言っても、リーダーに自分の幸せを決めてもらうのが幸せだとは思わないだろうと思いますから。

プレジデント2017年12/4号」のこの一節を含む記事はスタンフォード大学の心理学者 Kelly McGonigal(ケリー・マクゴニガル)さんの言葉として紹介されています。

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