人事評価!? - でも、その前に

組織改編という会社の取り組みも6ヶ月を過ぎて、1年間を基準に考えるのならばその活動は後半戦に突入というところ。
適材適所ということを意識するのと同時に、個人の感覚の変化というものを確認する機会も増えてきたように思います。

個人の感覚 - つまり、好きか嫌いか、納得できるかできないか、粘れるかあきらめるか… そんな物事に対する反応の仕方のことです。「年齢を重ねて丸くなった」なんて言うことがありますが、そういう感覚のことです。

個人の感覚というよりは価値観と言うべきかも知れません。
なぜそれがひっかかるのかといえば、人事評価というものを考えようとしているからです。

 

その価値観、自分で信じることができるだろうか

“裏表のない性格” という言葉もありますね。
誰に対しても公平で、言っていることにブレがない - つまりは、誰に言わせても同じように評価される人格、態度というものにあこがれを持っていた時期がありますが、はたして今の自分はどんなでしょうね^^;

そうした裏表のない人格をどんなふうに求めていたろうかと思い出してみると、好き嫌いからはじまって普段の機嫌の良し悪しに至るまで人の感覚というものは変わってはいけない、変わってもらっては困るというような感覚を持っていたような気がします。

ただいつしか、そうした人に対する価値観のようなものも、人生観とか金銭感覚などと同じように千差万別。自分の価値観と同じものを人に求めるものではないと思うようになりました。

私の場合、この時点でも “自分は変わってきた” と自覚すべきだったと思いますが、未熟な自分はまだ変わった変わらないと言える以前のレベルなんだ、変わったというのではなくてひとつ賢くなったという程度のことなんだと思っていたのです。

ひとは変化し続けます。自分だけが変わっていないと思っているだけで、大小さまざまな部分が変化します。思考、態度、価値観、外見、人間関係、どんどん変化します。

(中略)

しかたありません。それが人間です。

誰もが生涯、変わり続けますそれが良いか悪いかという話ではなく、時間や環境でどんどん変わるのです。変わらないと思っているのは自分だけ。ひとは自分自身が最も見えません。

出典: 矢作直樹氏著・「ひとりを怖れない

だから、こんな矢作さんの言葉にも、確かにそうかもしれないなと感じるのです。 - 正確に言えば、感じるようになってきましたと言うべきでしょう。

変わるのが自然なのだとしたら

“永遠の愛を誓う” という言葉もあります。
大切に思う相手に対する責任をまっとうするのだ… そんな情熱をそのまま信じていた若い感覚は、文字通り、変わってはいけない - 自分は自分のままであり続けるんだと思っていたのです。

「時間や環境で変わる」などということはあってはならないと。

命は時間とともに朽ちてしまう - そのことは頭では理解できる。けれどだからこそ、時間などというものに屈してしまってはいけない… そんなふうに感じていた。
環境 - たとえば、自分を取り囲む人間関係をその環境のひとつだとすれば、相手が変わったからと言って自分の価値観を変えることなどあるわけがない、そんなふうに受け止めていたのです。

けれど環境というものの中には、当時の私が考えていたのとは違う、自分では選ぶことのできない環境もある - あるいは、あると言わざるを得ない - のです。

そんなふうに、それまで知らなかったことを学んだり経験すれば、その後の感覚 - 心地よいと感じたり、辛いと感じたりする感覚が少しずつ変わっていくのです。

思えば皮肉なものです。
変えようと思い、変わろうと努力しても簡単に変わることができないことが多いのに、ただそこにいるというだけなのに、時間が経ったというだけのように思うのに、変わっていくのが私たちだと言うのですから。

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本当は「時間が経つ」ということの意味も分かってはいます。時間は「経った」というだけで十分すぎるほどの力をもたらすのですよね。

 

少しずつ変わっていく - それは成長と呼ぶべきなのかも知れませんが - そうやって変わっていく自分たちが今の知性、判断力でベストと思えるものを選びながら適材適所と言い、あるいは仕事仲間の言動や仕事を受けとめ、感じたり、評価したりしようとしている。

その自分たちの姿がなんだか愛おしく感じるのです。… 大丈夫だ、頑張っているのだから、と。