仕事に求めるのは生きがいではなく、やりがいだろうね

無限の可能性の中からひとつを選択する

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自分が所属している会社組織が組織ごと変化してしまう… 考えてみれば、私自身はそうした変化を経験してはいません。

一般職から管理職へという仕事の変化は経験してはいましたが、A部署からB部署へというような劇的? のものではなく、同じA部署の中の下から上へというごく穏やかな? ものでした。ですから、やり続けていた自分の仕事に十分すぎるほど習熟することもできたのです。

今、組織改編が続く会社の中で、部署も仕事そのものも変えなくてはならなくなるとしたら、自分の仕事観から変えなくては対応ができないかも知れない… そんな仲間を支える方法がほしいと感じています。

進路を決めるのは自分自身

仕事を変え、キャリアを決めるのは自分である。自らの得るべきところを知るのは自分である。組織への貢献において、自らに高い要求を課すのも自分である。飽きることを自らに許さないよう予防策を講じるのも自分である。挑戦し続けるのも自分である。
・・・「非営利組織の経営」

出典:P.F. ドラッカー・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

この言葉、「何を仕事にするのか、そこから何を得るのか - すべてが自己責任なんだ」と聞こえますか? それとも
「すべてを自分で決めることができるんだ」と聞こえるでしょうか?

自分の経験を振り返ってみると… 年齢を重ねるほどに、「自分で決める」自由度が高まってくるような気がします。だから、今の私にとっては「すべてを自分で決めることができる」方に聞こえます。

ただ、自由度が高まるというのは自分で責任を負えるようになったということの結果みたいなもの。何でも思うようにできるかも知れないけれど、そこには必ず、思うことをやった結果何が起こるのかが予見できて、起きたことにどう対応すべきかも判断ができるという状態のことを言っているように思います。

そしてさらに…
その自由度が高まったころの働く人には、
自分のやりたいこと vs. 組織(仲間)のためにやらなくてはならないこと
の両方が求められる、あるいは自分のやりたいことの優先度を下げて、組織(仲間)のためを選ばなければならなくなるということを忘れてはいけないだろうと思うのです。

求められなくても、誰かに強制されなくても、自然と目線が上がってくるのですね。
自分の手もと・足もとでいっぱいだった対応力が、後輩の手もと・足もと、時には目線にさえ目を配れるようになる。

要するに、仕事の幅と奥行きが大きくなって質も高くなるのです。そしてそれと同時に「自分で選ぶ自由度も高くなる」のです。

 

仕事ができるようになると別のことを求められる!?

このことを自分目線で振り返ってみると -
自分で納得ができるような仕事ができるようになって、仕事そのものがおもしろくなってきたころに、その仕事ができなくなる - 別の仕事を求められるようになるということが起こります。

雇われて働くサラリーマンであればなおさらそんな傾向が強くて、結局は、仕事を自分で選ぶということはできないじゃないか! という感覚に行きついてしまうのかも知れません。まして、家族を持っているとすればなおさら、その自分で選ぶ幅は狭くなるのかも知れません。

そんな場合、こういう仕事をしたいんだ! という思いがあったとしたら、どうすればいいでしょう?
それこそ、簡単には言えない・選べない葛藤を整理しないと先に進むことができなくなりますね。

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会社に求められる仕事
- 仲間と(仲間のために)作りたいと感じている仕事
- 自分でやりたいと思う仕事
- そして家族との生活をかける仕事

自分で決めるというのはどれかを選ぶということです。
可能性は無限にあるのかも知れないけれど、その時生きられる時間は1つだけ - だとすれば、どれかを選ばなくてはなりません。

さらに時間をかけ年齢を重ねると、1つの時間に2つ、あるいは3つを同時に活かす器用さのようなものを持てるようにもなります。ただ、選ばなくてはならないのは「今」だとすれば、やはり「選択」する賢さとたくましさが必要です。

 

 

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