会社と社員 - 組織と個人はスクラムを組めているか?

厳しいと言われ続ける経済情勢中で、自分と仲間を守ろうとする

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会社の利益、会社の必要 - それを満たすことが結果的には、自分の評価につながり、自分の生活に反映され、自分の満足を満たしてくれることになる。
だから、会社を構成する人員の1人であるなら、会社のためを考えることが欠かせないはず

社員がもしそんなふうに考えて行動しようとしているとしたら、会社はその社員たちに対してどうあるべきだろう。

1:1 あるいは 50:50 と言ってもいいかも知れません。
もし、会社(組織)あっての社員(個人)であり、社員あっての会社なのだとしたら、社員(個人)の考えや行動には、対になる、会社の考えや行動があるのが望ましい姿です。

効率化や低価格化があたり前というような風潮の中で、多くを会社に望むわけにはいかない、何よりまず会社を支えることが必要なのだから - と社員が考えるようになったのは、バブルのあと、リーマンショックのあとと連続した厳しい経済情勢のなかで、我慢と譲歩を求めてきた会社のキャンペーン? に慣らされてのことのような気もします。

one for all, all for one
(c) Can Stock Photo / matthewjones
慣らされているうちに麻痺しているということはないだろうか

「会社に多くを望んではいけない」 - その感覚がいつの間にか、「会社には求めることはできない」という感覚になり、「会社に求めても…」という感覚になってしまっていないだろうか。

そんなモチベーションの持ちようがない環境で、効率化も何もあったものではないだろうなと思うのですが、それでも、会社を構成する人員の1人であるなら… とOne for Allを守ろうとしている自分より若い仲間たちを見ていると、愛すべき良い仲間を持ったものだと思う反面、表現しようのない切なさを感じてしまいます。

その上、私とは別の会社に勤める仲間たちも、多かれ少なかれよく似たことを言い、よく似た振る舞いをしているところを見ると、何か不思議な感覚さえ持ちます。

だからでしょうか。
経営者でない私が、会社の社員に対する姿勢を云々したところで意味のないことのようにも思うのですが、その分、会社と仲間の若手たちの間にいるような年齢の自分には果たすべき役割があるのではないかかと考えるのは、私だけではないような気もするのです。

50:50に立ち返る力が会社に残っているだろうか

社員(個人)が会社(組織)を考えようとしているとすれば、会社がその社員と50:50に立つためには Employee satisfaction(従業員の満足)を考えるようにしながら、社員を向いている必要がある

もちろん、営利企業は利益を追求する活動を鈍らせるわけにはいかないでしょう。それでも - それだからこそ - その活動のエネルギー源になる社員を考える目がなくてはならいはずなのです。

会社のためを思う社員は、会社を思うからこそ? そして、日本人だからかも知れません、しっかり社員の方を向いてほしいとは言わないのです。
うっかりすると私という個人をアピールしていると取られかねない主張はしない - そんな面があるのです。

保身ではなくて、全体を騒がせるようなことがあってはいけない、会社のために個人を主張してはいけない、と。

確かに会社も身を削って難局を切り抜けてきたのです。

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ただそれと一緒に企業活動に必要なコアの部分まで削ってしまっていないか - それが社員のモチベーションだとしたら… 傷は思っているより深いということに気がつかなくてはいけないのです。

経営者もまた、「何かなくしていないだろうか」と社員に聞くことはないでしょう。それが社員(個人)と会社(組織)の関係の限界なのだとしたら、One for Allのあるべき姿を求めることもむなしいことになってしまいますね。

私たちのみんなが向き合っているように思える、「働く」ということの意味を考えさせられることが増えた今日この頃です。

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