社員が求める会社は、社員が作る?

人間関係のむずかしさは、私たち自身を鏡に映した姿だった?

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社員一人ひとりの仕事ぶりを誰もが納得できるような方法と基準で評価する - 会社組織の改編をしようと頑張る会社にいて、人事の評価の意味を今さらのように確かめている今日この頃です。
と言っても、現場の仕事には十分に精通はしていても、経営者ではないし、人事部の人間でもないのですが…^^;

私たち雇われて働く者は、常々、「自分の仕事ぶりを納得できるような方法と基準で評価」してほしいと願っていると思うのですがどうでしょう?
そしてそんな私たちは、会社がどんなふうに働いてほしいと考えているか、理解しているでしょうか?

私は今、本来は人事のプロや専門家が設計するであろう人事の評価制度のようなものを自分たちでデザインできるかという活動をしてみて、会社を率いる側の思いと雇われる側の意識にどれくらい温度差があるものか - たとえばそんな確認をして過ごしています。

「雇われる側の意識」と言葉にすればそれだけのことですが、そもそも私自身、会社を率いる側の意識が見えたり、その意識に触れたりする位置に立っているということがなんだか不思議です。なぜなら、自分を “従業員” に分類して「それは自分の仕事じゃない」と言っている仲間がいるからです。

彼らが言う「自分(彼)の仕事」は誰が決めたんだっけ? という議論はほとんどが噛み合いません。その噛み合わない議論を噛み合わせてひとつにまとめて、会社が必要とする方向に進める。しかも収益性を確保しながら - 人事の評価制度というのも、そのためのひとつのツールなのだと感じます。会社の経営方針とか経営理念、営業目的など、さまざまなレベルの考えや考え方、運用の手続きや約束事があり、人事の評価制度というのは会社が従業員を管理するためのシステムと言って終わりそうですが、実は終わっていない - 少なくとも私たちの場合は分かっていなかったということが、検討や議論を進めるほど、はっきりしてきています。

サラリーマンは雇われ・働く者のプロ

私の会社というのは、かつての年功序列をベースにした組織とか職制といった言葉や仕組みを持っていない - 正確に言えば、持っていなかった - 会社です。一般的にはユニークなことではないかと思います。上司・部下、あるいは管理という言葉がない会社でしたから、責任とか権限といった言葉を使うこともありませんでした。

組織がなく、職制がいない!? それって会社というのか? と感じる人もいるだろうと思いますが、決してブラック企業ではありません。それはそれで機能してきたのです。顧客はもちろん仕事仲間にも誠実に向き合う集団です。そうなのです。会社と呼ぶよりは、仕事人の集団と呼ぶのがふさわしいかも知れません。
ノルマがあるわけではないのですが、求められる納期を守って求められる製品を完成させ、納品する。それがちゃんとできているのです。

ただ、これも不思議なことは、”上司” がいないからか、”上司” を求めるものなのですね。”管理” ということを言わないのに、しっかり “管理してほしい” と従業員の方は感じている。特に、年齢が低い若い人たちほど、組織を求める傾向が強いのです。

そんな仲間たちを見るほど、従業員は雇われ・働く者のプロでなくてはいけないなと感じます。

労働基準法に心酔しているわけではありませんが、こんな条文があります。

労働条件の決定
第二条
労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。

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この法律は、労働環境とか賃金とか、働く者の労働の基本的な部分を守ってくれるもので、サラリーマンたるものどう働くべきかというようなことを教えてくれることはありません。
ただ、こんな条文もあります。

労働条件の原則
第一条
労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

「労働関係の当事者」というのは誰のことでしょう? 「誠実に各々その義務を履行」する関係というのはどんなものでしょう?

認識という言葉がありますが、少なくとも私たちは、そうした基本的な認識、意識を持った存在でありたいと思うのです。

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