知的労働と言えば聞こえはいいが… 「貢献」ということを考える

頭を使う仕事ほど、それだけでは成り立たない!!?

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知的労働者が貢献に焦点を合わせることは、特に重要である。彼らは、そのようにして初めて、貢献できるようになる。
知的労働者は、物を生産しない。アイデアや情報や概念を生産する。知的労働者は、ほとんどが専門家である。事実彼は、通常、一つのことだけを非常によく行えるとき、すなわち専門化したときにのみ、大きな成果をあげる。
しかし専門知識はそれだけでは、断片にすぎない。不毛である。専門家の産出物は、ほかの専門家の産出物と統合されて初めて成果とすることことができる。
出典:P.F.ドラッカー氏著・「新訳 経営者の条件 (ドラッカー選書)

ドラッカー氏のこの言葉を、思い切って自分の言葉で書き換えてみると…

自分の能力をどうやれば役に立ててもらえるか、知的労働にあたるものが意識しなくていけない。
知的労働者が作るものは形がないだけでなく、それだけでは何の役にも立たない。ほかの専門家が作るものと合成しなければ使えるものにはならない。

くらいの意味になるでしょうか?

そしてその言葉は -
だからこそ、知的労働者たちに、自分の能力はどう活かせるものなのかを説明し、伝える努力をさせる… それがエグゼクティブの仕事だ… と続くのです。

使う側は、貢献させるために貢献することを考えさせよ! ということでしょうか?!

ただ、こんなことができるものだろうかとも思うのです。

たとえば -
私の今の仕事(のひとつ)は、翻訳です。ひとつの言語で書かれた情報をもうひとつ(あるいは複数)の言語に書き換える仕事です。

ひとつの言語で書かれた情報が

  • どんな知識、
  • どんな言葉、
  • どんな目的で

書かれているかを読み取り

  • 知識を確認し
  • 言葉を確認し
  • 目的に合った言葉と文体を選んで

もうひとつの言語に書き換えるのです。

このことを考えてみると…
翻訳が文字通り、専門家の仕事と言えるように思えますが、その一方で、これだけでは使えるものにはならないというのが私の感覚です。
(そういう翻訳をもとめるクライアントとの付き合いがメインだった… と言うべきだろうとは思いますが)

「情報」が何をさすのかを考えると、自分の仕事の意味が分かってきた!?

私が相手にしてきたのは製品の取扱説明書やマニュアルのテキストです。
翻訳は翻訳 - 言葉の置き換え - を仕事とするものですが、その作業結果として得られる翻訳というのは、取扱説明書を構成する要素のひとつにすぎません。

テキストや画像、シンボルといった情報をまとめ、整理したものが取扱説明書やマニュアル - ドキュメント -  です。

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つまり、私が関わってきた分野、あるいはクライアントのための翻訳というのは、それだけでは成り立たない仕事ということ。ドラッカー氏の言葉で言えば「断片であって、不毛なもの」ということになるでしょう。だとすれば…

われわれがなすべきことは、ゼネラリストをつくることではない。専門家が、彼自身と彼の専門知識を活用して成果をあげることができるようにすることである。言い換えれば、自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在とするためには、それを利用する者に、何を知ってもらい、何を理解してもらわなければならないかについて、専門家自身に徹底的に考えさせることである。

の言葉にあるように、生産的な存在にしてもらうために考えなくてはなりません。

翻訳者という専門家はこれまで、仕事を半分しかやってこなかった!? ということになるのかな? と愕然としているところです^^;

 

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