長年サラリーマンをやっていると、年を追うごとに、年配者は自分よりも若い、経験の浅い人たちをしっかりリードしてくださいというシグナルが増えてくると思いませんか? 弟や妹が生まれてお兄ちゃん、お姉さんになった子が、「お兄ちゃんなんだから」とか、「お姉さんになったんだから」と言われるのと同じような気がしますよね。

そして思うのは、
“褒めて伸ばす” とか、”上司はともかく部下の話しを聞きなさい” とか、若い人たちをリードするときに必要なこととして教わること、注文されることがあって、ちょっと途方に暮れる感じに出会うことがあるということ。育てられたように育てるというのが自然・普通なことだよなぁ と感じるくらいですから、褒められることも、話しを聞いてもらうこともあまりなかったなという、理想と現実、目指すものと自分たちがたどってきたものにかなりのギャップがあるなということです。

私の師匠は、弟子に面白い企画を出させる天才でした。
私たちが見ても、「こいつ、何考えてんだ」というぐらい使えない企画みたいなものがどんどん出てきたときでも、「おッ、こいつは怒られるんじゃないか」と思って見ていると、「アホなこと考えとるな。おもろいやんけ」とかいいながら、「これ、おまえ、今度にとっておけ」という言い方をするのです。

(中略)

… 「アホなことばっかり考えとるな」といいながら、その企画を横へ置く。その横へ置かれるということに、私たち弟子は、何か誇りを感じるわけです。

コントロールなど気にしないで思い切り投げていっても、とにかく上司は受け取ってくれるとなれば、球のスピードはどんどん伸びていきます。そうしないと。部下は、コントロールばかり意識して、どんどん球威のないピッチャーになっていく。こうなると部下は絶対伸びません。

出典:中谷 彰宏氏著・「こんな上司と働きたい (PHP文庫)

こんな理想の上司に出会えないとしても、話しを聞いてくれるどころかいつでも説教一辺倒の上司とか、ダメ出しだけで終わる上司、果ては部下を愚痴の聞き役にする上司などには結構会うことができるというのは不思議な話しですよね^^; それもこれも、みんな理想と思える上司に育てられたことがないからなのだろうなと感じるのです。

それでも、お互いリードすべき年長者になっていくのだとしたら、やはり後輩とか自分より若い仲間をリードする立場になる日がくるという自覚を持てるといいなと思うのです。

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反面教師という言葉がありますが、好ましい先輩、上司に育てられたことがなかったとしても、リードされる立場だった時、先輩・上司の教えに疑問や矛盾を感じたことがあったとしたら、立場が変わったときにそうした経験を活かせるのじゃないかと考えたりもします。
ただ、”経験は経験として袋に入れて取っておく”、”反面教師にはそれなりに合わせて…” というような便利な? 暮らし方ができるはずもありません。何かよほど強い力とか、発想の転換とかがないと反面教師からのマイナスの学びをプラスに変えることというのはできるものではないのです。

まして、反面教師に “べき論” で真っ向から対抗する暮らし方というのも楽しいものとは思えません。

子供に勉強しろ、勉強しろといっていて、親が1冊の本も読んでいない、家へ帰ってきたら寝ころがってテレビばかり見ている親の子供は絶対に本なんか読みません。「子供は親の背中を見て育つ」というのはそのとおりで、子供は完全に親のコピーになっていきます。

上司と部下の関係も全く同じです。部下が全然勉強をしないとしたら、ひょっとしたら自分が勉強していないのかもしれないなと、部下を自分の鏡として使っていくぐらいの姿勢がないとダメです。

中間経営者は、自分を客観視するシステムを持たねばなりません。組織の中で働いていると、なかなか自分を客観的に見ることは難しくなります。ところが、意外に自分を客観的に把握する材料があるのです。それが部下です。

どこかで、何となく耳が痛いような、どきっとするような感じがしたら、自分も残念な上司、残念な年長者に足を踏み入れているかも… と自覚しなくてはいけない、その意識を持つだけで認めてもらえる上司、年長者に向かえるかも知れませんね。