どんなリーダーを望んでいたか - リーダーになるための答えはそこにある

自分が求めていたリーダーの姿を自分で実現できるか

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会社の方向、方針が示されていたとして、部下の役割り・分担、目指してほしい成果をどう決め、何を指示すればいいか…
あるいはそれ以前に、その会社の方向、方針を自分たちで決めなくてはならないとしたら何をどう決めるべきか…

世の中にある言葉どれかをあてがって言い表わそうとすると、何か全然違うものになってしまいそうですが、たとえば、「経営企画」とでも言えばいいのでしょうか?

会社の方向、方針が定まっているとすれば、それぞれの部門や個人(社員)の役割りというのはその会社の方向に合わせ、方針に向かって適材適所の役割り・分担を、目指す成果を追求すればいい - 話しはしごく簡単に思えます。

それに対して、会社の方向、方針を自分たちで決めようとすれば、そのしごく簡単な話しの前段階が問題になりますから、話しはまず混乱からはじまる以外にない… 部下の役割りや分担を決めようにも、目指す成果(目的地)を決めようにも、そのベースがない・決まっていない!? とすればリーダーは何をすればいいでしょう?

そんな思いで、初版 1992年という、26年も前のドラッカー氏の言葉を繰り返し、繰り返し読んでいます。

ドラッカー氏の言葉を道しるべにできるか

効果的なリーダーシップは、カリスマ性に依存するものではない。

(中略)

まず第一に指摘すべきは、それは仕事だということである。

出典:P.F.ドラッカー・「未来企業―生き残る組織の条件

2008年のリーマンショックの16年前。
それでも、「ここからはじまった!」の明確にできないと言われている日本経済の中の “バブル崩壊” あるいはそこからはじまった景気後退のさなかに発表された著書・理論であることを思えば、あまりに昔の言葉なのかと思うのですが、どうもリーダーに求めたいものというのはあまり変わっていないような気がします。

MEMO:
Japan as No. 1 が発表されたのが1979年だったことを思い起こすと、バブルがどれくらい急激に成長し、どれくらい短命に崩壊したのか分かるような気もします。

リーダーのほかの姿を知らないから!? 自分の知っている姿にすがりたいだけなのでしょうか?

ドラッカー氏のこの言葉を読んでいると、会社の組織とか社員の立ち位置 - 構造 - はどうだったろう? 会社が何をしようとしていたろうか… 私たちは会社に何を求めていたろうか… ということを確認し直さなくてはいけないと感じます。

なぜなら、当時、部下と呼ばれる目線に立っていた自分がいて、その視線から「リーダー」- 会社経営者とか、部門を率いる責任者 - を見ていた。その自分が20数年経って、リーダーの立場になっているのです。そして、目指しているリーダー像が20数年前に求めていたものとあまり違っていないのではないか、と気がついたからです。

効果的なリーダーシップの基礎は、組織の使命を考え抜き、それを明確かつ目に見える形で定義し、確立することである。
リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定めて、それを維持する者である。

(中略)

リーダーと、間違ったリーダーとの違いは、目標にある。政治的、経済的、財政的、あるいは人間関係の問題といった現実の制約によって妥協せざるを得なくなったとき、その妥協が、使命と目標に沿っているか離れているかなよって、リーダーであるか否かが決まる。

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20数年経ってもドラッカー氏の言葉が生きているということなのか、20数年経っているのに、私たちの感覚が凝り固まったまま進化できなくなっているのか - ちょっと悩ましいところです。

組織の使命を考え抜き、それを明確かつ目に見える形で定義し、確立する

これは私たちが良く口にする コミットメント のことではないだろうかと想像することができます。ところが、

「妥協せざるを得なくなったとき、使命と目標をはずさない妥協ができるか」という問いかけに応えられるだろうか - これが問題なんです。

 

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