後進に道を譲るという仕事の終い方を考える

まだ早い! と思えるからこそ考えてみよう! 若い仲間のために

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若い仲間に教えてやらせた仕事は、そのできあがりを確認してOKかNGかを判断してやる - そんな時期を過ごして「教える」ということ「教え方」を学ぶようになります。

しばらくの間は「自分でやった方が早いよ!」とばかりに若い仲間に仕事をやるチャンスを与えず、いつもの自分の速度で処理してしまって自分ひとりで溜飲をさげたりしている。そんなとき先輩の意識は目の前の仕事を片付けることにあって、若い仲間を「育てる」ことの大切さはどこかに行ってしまっています。

気をつけなくてはいけないのは、「教え方」は教わらなくては分からないし、「育て方」も育てられていなければ分からないということです。今の仕事について3年経つとか5年経つとか、この道何十年のベテランだとかそうでないとかではないのです。

「若手をしっかり育てろ!」と言うとすれば、自分はその相手をしっかり育ててきたんだったか?! を自問してみなくてはいけないのです。

ということは -
さらに時間が経って、後進に道を譲る… ということを考えるような年齢になったとすると、その人もかつて、先輩から道を託される経験をしてきた人だろうということ。

「教える」「育てる」「後進に道を譲る…」ということは、考えてみると2つ目の仕事をこなすということを意味しているなと思います。覚えてきた仕事をこなし、実績の積み上げに貢献するという今日の仕事が1つ目の仕事。その1つ目の仕事に重ね、場合によると1つ目の仕事と同時に、若い仲間を教え、育て、いつしか道を譲る…。だからどうしてもその部分は2つ目の仕事ということになるだろうと思うのです。

たとえば、
若手と呼ばれていた自分は、誰に仕事を教わり、判断ができるように育ててもらってきたか… もし、若手を世話することに何かストレスを感じたりするとしたら、そのことを考えてみればいいでしょう。

- さて! そう言っている私は、ここに書いている若い仲間との望ましい関係を誰に教わって来たでしょうか!?^^; 考えてみると、マニュアルとか教科書のような教本を前にして、先輩の誰かに説いて聞かせてもらったという記憶はこれっぽっちもないのです!

あったとすれば、実地の話しばかり。
ある先輩がこんなふうに仕事をしていた。それを見て自分はこんなふうに感じた。
ある先輩にこんな扱いをされたとき、自分はこんなふうに応じたけれど、さらにこんなふうに切り替えされて辛かった。
こんなことを感じながら取り組んでいたことがあったけれど、思わぬ機会にそれをとても高く評価してもらって、それがとても嬉しかった…

いくつもいくつも、何日も何日も積み重ねた経験がいつの間にか仕事観のような形になって今日の私につながっているような気がするのです。

もしそうだとすれば、私には気をつけなくてはいけないことがあります。
何が正しくて、何が正しくないのかも自分の感性が決めてきている… ダメ出しをされ、そこから正解をつかみ取るという学び方をしていない、そんな経験が足りないのじゃないかと思うからです。

果たすべき貢献を考えよ

成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔をあげ、目標に目を向ける。組織の成長に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に据える。
…「経営者の条件」

出典:P.F. ドラッカー氏著・「仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

若い仲間が仕事に取り組む姿をみながら、私はそんなことを考えています。

足りないものがあるようだと感じながら、気がつけば、後進に道を譲るということ考えはじめてもいいんじゃないか!? という年齢を意識するようになっている。

はたして私はちゃんと育てることがきているのか、教え方はどうだろう? 道を譲るということができるのだろうかと。

後進に道を譲る - そこにも自分なりの個性があっていい

ドラッカーの言葉は、若手を育てるときの年長者に向けた言葉に聞こえるのは私だけでしょうか?

手元の仕事から視線を話して目標に目を向けなさい… 組織のために何が必要か、そして果たすべき責任を考えなさい… まさに、「自分でやった方が早いじゃん!」ではダメなんですよね!^^;

「教える」「育てる」「後進に道を譲る…」のどのフェーズで考えても… あるいは、自分が教わっていたときのことを思い出しても、ちょっと切なさがいっしょになってしまいそうです。

だからでしょうか?
少し注意して見回してみると、後進に道を譲る・譲らない? というやり方にもその人の個性が出るものだということがよくわかります。教わったか、育てられたかということとも関係があるのかも知れませんが、それ以前のベースになる人格のようのものでしょうか?

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「後進に道を譲る…」という言い方をすると、仕事における・職場における終活 - 自分の仕事の終い方を語っているような気にもなってきます。

果して残してやれるものがあるのだろうか… そんな思いになるのも最後の仕事になるかも知れないという感覚があるからかも知れません。

何が残せるだろう - 何から何まで、過去を振り払うように変わっていく今の時代。
やがてなくなるかも知れないという翻訳という仕事を相手に何が残せるか… 意外とやりがいのある仕事になるような気もするのです。

 

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