良い仕事をしたいのならば、今の自分をすべて否定!?

マネージメント(管理職)に必要な “バランス” の感覚

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良い仕事をしたいと思っているはずなのに、その可能性やそのための材料を自分でわざわざ捨てている - なのに、良い仕事が出来ないことを説明しようと原因探しに夢中になっている…
少し離れて見てみると、そのびっくりするような矛盾に気づくはずなのに、バランスを取るということが如何にむずかしいものか、管理職に対する自分の適性を見せつけられているような気がします。

マネージメントなるものを学ぼうという取り組みのメンバーに選抜された者同士が集まった話し合い。無意識に顔を出し、一人歩きしてしまう私たちの中の矛盾 - その矛盾が出た時にブザーを鳴らしてくれる警報システムのようなものってないものでしょうか?^^;

たとえば、ある仕事の効率を問題にして曰く… 「この仕事は非効率だからやめるべきだ」というのです。
話しのはじめからマネージメントになっていません。

あるいは、「この仕事の効率を上げるためにあのシステムを購入しよう」 といいます。
やはりマネージメントになっていない。

もうかなりの時間が経っているように思いますから、今では通用しない基準かも知れません。「人、金、物」 の3つを経営の3大エレメントとした時代がありました(今も生きているでしょうか?)。経営者がその3大エレメントを駆使して会社の経営をしようとするのであれば、マネージメント(管理職)に求められるのは、バランスを見極める目だろうと思うのです

「仕事が非効率だ」 とすれば、その原因がどこにあるのか

  • 人(その認識や技量)か
  • 材料や機器といった環境か
  • 仕事が目指していた目標(仕上がり目標など)か

最低限、そうしたバランスを客観的に把握し、

  • その仕事を続けることのメリット、デメリット
  • その仕事をやめることのメリット、デメリット

といった、最終的な判断に必要な情報をそろえることが必要なのです。

言葉を変えて言えば、「個人の主観的な意見や言い訳はいらない! 客観的な事実を伝えること」 - 報告というのはどういうものかと教えられた基本とマネージメントは、実は直線でつながっている同じものなのです。

客観的に判断しているつもりで、客観的な情報や確認をスキップして個人の意見に走ってしまっている… そんな自分たちの振る舞いはいったいどこから来ているのだろうと感じます。そして、「仕事は楽しいかね?」 の一節を思い出します。

自己啓発書は山ほど読んできたが、これぞという戦略はなかった。哲学などはなおのことない。
それで、感銘を受けた本の内容を話した。彼はそれを二つに分類し、二十世紀末の自己啓発の英知を一枚の紙にまとめた。
一つ目の大きな枠のほうは、”目標の設定” だった。

(中略)

二つ目の枠は、”生きる姿勢を変える” ことに関するものだった。

(中略)

最後に私はこの言葉を言った。「わかりきっていることを手間暇かけてやり直すことはない - 他人の成功を範として自分の成功を生み出す」

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自分の経験、知識に間違いはない! と信じ切っていた主人公の思いがすべて否定されるお話しです。それだけに 「仕事は楽しいかね?」 の一言がとても印象的です。

私が言い終えると、老人も書き終え、大判のメモ帳を私のほうへ向けてこう尋ねた。
「これでいいかね? これが成功のための最良の考え方を要約したものかね?」
そうです、と答えた。
「よく見える場所にこれを貼っておきなさい」命令するような口調だった。
「バスルームの鏡か冷蔵庫か机の横がいい。ただ、渡す前にしておきたいことがある」
そう告げると彼はペンをとり、紙に大きく×印をつけた。これまで書き連ねてきた言葉の上に、でかでかと。

私たちはどうもこの主人公と同じ誤りをおかしている - そう感じます。正しいと思っていたそれまでの知識、自分の判断の間違え方まで主人公によく似ています。

そもそも何を間違っているのか。私たちはちゃんと理解できると思いますか?^^;

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