自動車の魅力はどんなものか

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コーヒーは今でも嗜好品?

美味しいコーヒーをどうぞ
(c) Can Stock Photo

コーヒーという飲み物は今でも嗜好品に分類されるものでしょうか? 食事の時にグラスやゴブレットに注ぐ水 - 炭酸抜きとか炭酸の入っていないものとか種類がありますが、ミネラルウォーターを好まれる方もいるでしょう。水の代わりに日本茶や烏龍茶やプーアル茶などの中国茶を飲む方もいるようです。米食をパン食が量で上回ったという話しを聞いてからもうけっこうな時間がたっているように思いますが、食事の時に入れる水やお茶と同じように、コーヒーも食卓に普通にある飲み物になっているような気もするのですが。

抗酸化作用と抗菌作用をもたらしてくれる植物ならではの成分、ポリフェノール。コーヒーはそのポリフェノールの含有量がワインについで豊富だという話しも、コーヒーを飲む人が増える要因になっているかも知れませんね。

ただ、嗜好品の定義なるものがよく分かりません。私たちの生命維持という必要性から考えてみると、どうしてもないと困る飲み物? かと言うとそうでもないような感じもします。たばこやアルコールなどのように、楽しみとしてふれたり、感じたり、味わったりするとき、それを嗜好品と呼ぶと思えばいいでしょうか?

そして、お茶にしてもコーヒーにしても、ずいぶん身近な飲み物になっていると思うのですが、やはり嗜好品に分類されていたものは嗜好品なのでしょうか?

Auto mobile(オートモビル)という言葉があります。直訳すると “移動手段としての自動車”  というようなニュアンスになるでしょうか。少し前からモーターサイクル(オートバイ)や自動車など、乗る人が自分で操作する “乗りもの” を指す言葉として使われるようになりました。つい先だっての2015東京モーターショーでは、一人乗りで歩くような乗り方の乗りものがパーソナルモービルと呼ばれて紹介されていましたね。

自動車やオートバイも嗜好品という言葉をあてて語られることがあります。その時の嗜好品とは、マニアックな、あるいは趣味として楽しまれるものという意味ではないかと思いますが。ここでも、自動車は嗜好品なのだろうか? というささやかな疑問を感じています。

私たちの日常生活のための必需品かと言われると、どうもそうではないような気がします。環境保護という観点から見た場合にはむしろ、その存在意義を厳しく問う意見が出てきても不思議はないような気もします。一般的な、個人レベルの生活という範囲で見る限りそうした厳しい見方になることもあり、一方、物流など経済面で私たちの日常を支えているという意味では欠かせない存在とも言えそうです。

今、自動車の魅力はどんなものか

そもそもなぜ、嗜好品か否かなどということを考えているのか。それは自動車という製品にこれまでとは違う雰囲気を感じているからです。

自動車の魅力を確かめる
(c) Can Stock Photo

今、自動車をデザインし、製造し、販売しようとする人たちは、自動車をどんな製品だとアピールしたがっているのか。私たち一般人の感覚と自動車を作 る人たちの間にどんなギャップがあるのか - それをイメージすることで、自動車を語るテキストを扱うセンスを高められないかと思っているわけです。

性能とともに変化してきたその魅力

私は産業翻訳の世界で自動車業界との付き合いが長く、自動車を語り、伝えようとする色々な種類のテキストを手にし、目にして過ごしているのですが、それらのテキストにある種の変化を感じています。

その変化がいつ頃から起こっていたものかはっきりとは言えません。バブルがはじけたと言われた頃からだったでしょうか。それまで、走る・ドライブするということは、日常を離れ、日常にない躍動感や充実感を感じること・・・ そんなイメージで自動車を語るものがほとんどだったのです。それがこの数年、走ることの楽しさや歓びをと謳いながらも人々の関心をつかまえようとしているのは安全であり、安心にウエイトが大きくシフトしている印象があります。

あたりまえじゃないか! とも思います。自動車は間違えれば凶器にもなり、人を不幸にすることもありますから。今、多くのメーカーがアピールしている自動でブレーキをかけるクルマというのも、これまでの研究・開発の成果を結集して、今形にすることができる安心・安全という自動車の新しい魅力だという訳です。

そしてもう一つは。インターネットやSNSの世界で言われる “つながる” という楽しさ、便利さ、そして安心です。あるいは独特のコントローラーをコンソールに備え、ナビゲーション用にも使えるディスプレイを使ってインターネットやSNSのつながりをクルマのキャビンの中でも途切らせることなく利用できます。

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走るということ、ドライブするということを以前よりもマイルドにアピルするようになった自動車 - そんなイメージがあるのです。

自動で運転するクルマという技術も形になっていますね。「自動車を運転する」とは言わず、「自動車に乗せてもらう」と言うようになるのだろうかと思ったりもしますが、そなると自動車の魅力はすっかり様変わりしたことになります。疲れても安心、疲れのないドライブというのも安心・安全の一部のように思いますが、もし仮に、自動車に求めるのは移動性ということになってくるとするとそれでも自動車は嗜好品と分類されるのだろうかと思ったりするのです。

もう少し、時代が求めているもの、時代が提供しようとしているものに目を凝らしてみたい。そうすることで、期待やニーズ、伝えたい想いの両方が見えてこないだろうか感じています。

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