ライフログやユビキタス・キャプチャ - 自分の思考パターンを確かめよう

「書く」ということにはどんな意味があるだろう

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ライフログにしても、ユビキタス・キャプチャにしても、そもそもどういう発想・どういう動機から生まれたものだったのでしょうね。

自分の生活の中に起こったこと - イベント - を軸に記録しようとするのがライフログ!?
そして、自分の内面・アイデアに重心を置いて頭に浮かんだことを端からどんどん記録しようとするのがユビキタス・キャプチャ??

しかも、キーボードを使ったデジタルでなくて、ノートとボールペン、あるいはシャープペンシルなどを使い、アナログに(手で)書くのが基本と言います。

みなさんはライフログとかユビキタス・キャプチャ、続けていたりしますか?^^

私にとっては iPhone というデバイスが(携帯電話であるよりも)書くためのツールになっていると感じることがあるのですが、それくらい「書く」ということが普通になっているつもりだったのに、ライフログとかユビキタス・キャプチャというのは、ちょっと違った種類の「書く」行為なんだなということが分かってきました。

試してみると分かる自分のシグナル

ライフログ、そしてユビキタス・キャプチャ、その定義はともかくとしても、書こうとしてみると自分の頭と体の働き方がどいうものかがよく分かるのです。

頭と体の働き方というのはどういうことか?
まずひとつには -
書こうと思う・書こうとするタイプなのかどうか、ということ。

ものを考えたり覚えたりということを毎日のように? 求められていた学生時代の勉強を思い出してみると、「書いて覚える」「読んで覚える(覚えられる)」というタイプがあったなと思うことってありませんでしたか?

授業を聞きながら黒板の内容を書き写したり、先生の説明をメモしたり。今思えばそれがキャプチャ [A] だったのですね^^
そしてその内容を、たとえば、別のノートに整理しながら書き写す [B](書き移すと書くべきかも知れませんね)。そのときの書いている行為はキャプチャとはちょっと違っていたと思いませんか?

この [A] [B] のうち、 [A] に近い感覚、それがユビキタス・キャプチャではないかなと思うのです。
いや、ユビキタス・キャプチャで書き残すことには、[A] に近い感覚で書いていることが多くはないだろうかと感じます。

ライフログは [B] に近い感覚でも書けるもの - そんなふうに言えるような気がするのです。

そもそも “書こう” とするタイプだろうか

ただ、そもそも書こうとするタイプなのかどうか、それが問題です。
読んで覚えるタイプの思考回路の人にはライフログもユビキタス・キャプチャも成り立たないかも知れないと感じます。

当然と言えば当然ですが、書こうとするタイプの人でなければライフログもユビキタス・キャプチャも成り立たないと。
別の言い方をするなら -
私がそもそも、ユビキタス・キャプチャのタイプではないのかも知れないと感じるのです。

頭の中はちょうどジグソーパズルのピースが散らばった状態! その散らばったピースの位置を確認しながら並べてみて、ちょうど起承転結を確認するような工程が書くという行為 - 私にはそんな感覚があります。

ところが、ユビキタス・キャプチャに集中できるようになると、そのばらばらのピースが頭の中に浮かんでは消えするときにノートの紙面に書き残すことができるようになります - (それは私の感覚ですが)

あるものはいくつかの単語の羅列だったり、あるものはつながりのない・どうつなげばいいか分からないいくつかの文章だったりということもあります。もちろんイベントを軸にしたライフログ的な項目 - イベント - が書かれることもあります。

そして、この「書き残し方」- ユビキタス・キャプチャ - は自分のタイプではないな^^; と感じることが多いのです。

絵画か、彫刻か?!

思考パターンという意味でライフログとかユビキタス・キャプチャを捉えようとしてみると、絵画型、彫刻型(美術的な意味では適切ではないだろうとは思うのですが)のどちからに分けられるような気がします。

自分の頭の中にあるものも含めて紙面に書いてしまおうとするユビキタス・キャプチャで書き残すものは、私の場合、どうしてもジグソーパズルのピース以上のものにはならない気がします。
(なったためしがありません^^; 別に、いい悪いではありませんが)

ところが、いくつか書き残したページを書き移してみるとひとつの絵になるのです。

そして、この「書き方」は(繰り返しになりますが)、私のタイプではありません。
ばらばらのピースをああかこうかと何度も並べ替えてみてひとつの文章にする、並べ替えながら思いついた言葉や文章をさらに加えていく - それが私流の書き方であり、推敲なのだと思うのです。

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その違いはちょうど、色を重ねて絵を描くか、いらないものを削りながらイメージを形にしようとする彫刻かと違いのように感じます。

つまり、ライフログやユビキタス・キャプチャは書こうと思うタイプかどうかと、どうやって書こうとするかという書き方がかみ合わないと成り立たない - そんなふうに思うのです。

さて、みなさんはどんなタイプの書き手ですか?^^

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