言葉が絶滅する?! - 使うほどにすり減ってしまう私たちの言葉??

“伝えたい・受け止めたい” の思いも楽をしたがる??

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危機言語という名称を知っていますか?

世界で話されている言葉が7000もあるという数字には言葉を仕事にしてきた私も驚いていますが、その1/4は絶滅の危険に瀕しているといいます。

その絶滅の恐れがある言葉を危機言語と呼ぶのだそうです。

危機に瀕する言語(ききにひんするげんご)は、母語話者がいなくなることで消滅(死語化)の危機にある言語である。危機言語とも言われる。

出典:Wikipedia・「危機に瀕する言語

日本でもアイヌ語など8つの言語がこの危機言語になっているとか。

翻訳の仕事で日本語を書いていると、「この言葉はたぶんもう分かってもらえないだろうな」と感じることがあって、別の言葉に置き換えることが結構あります。なぜそんなことをするのかと言えば、分からない! 分かるようにしてほしい! というクレームをもらうからです。

伝えるための言葉は伝えるために発達してきたのだと思うのです。たとえば

  • 細部にわたる配慮
  • 微細な粉末状にして…
  • 些細な気持ちのすれ違いから…

「細部」「微細」「些細」は小さい・細かいというニュアンスを持った言葉ですが、そのニュアンスを、使う状況、説明しようとするものに合わせて使い分けているのがこの3つの例。

もちろん、小さい・細かいというだけで考えても同じようなニュアンスを持った言葉はまだまだいくらでもありますよね。ところが、この例の「細部」「微細」「些細」というような言葉は文字の世界でもある限られた分野でないと使わない、分野を選ばないと出会えない言葉になっているような気がしています。

そして、翻訳のクライアント(注文主)が「要するに小さいってことなんだろ! なんでそんな分からない言い方をするの⁈」 と感じたとすると、分かるようにしてほしいという注文になるわけです。しかも、そういう話しになるケースが増えているように感じるのです。

少なくとも私がいる文化圏? のことなんだろうなとは思うのですが…^^;

実際に置き換えを求められた中に「垂涎」という言葉がありました。「これは日本語なのか!?」(日本語で使う言葉なのか? という意味)というのがクレームの中味でしたが、さすがにクライアントが読めないのではもう言葉ではないですよね!^^;
直訳すれば、よだれ(涎)をたらす(垂らす)。「すいぜん」と読むのですが、”強く欲しがる” 様子を表す言葉です。

別の言葉に置き換えるということは、実は、文章を書き替えることになりますから、あまり簡単・単純な仕事ではありません。それでも、クライアントにとって伝えることができないと感じる言葉は、クライアントが使いたい言葉にならないし、クライアントにとっては機能していないということになってしまいますから、別の言葉に置き換える - よく言う「噛み砕いた表現」にするわけです。
言い換えれば、効率的に伝えたいので細かいところはまあいいか、と簡略化するわけです。

例に挙げた言葉がこの置き換え作業の対象になりやすい… というわけではありまんが、この置き換え作業の対象になることが多いほど、置き換えたもとの言葉が使われるチャンスは少しずつ少しずつ減っていきます。そして、使う - 聞いたり読んだりする機会が減っていつの間にか、もとの言葉は意味もニュアンスも分からなくなってしまうのですね。

文字離れ、本離れなどということも言われることがありますが、もし文字の世界が小さくなって、映像や音声の世界が大きくなっているとすると、こうした言葉に出会う機会はますます減っているのかも知れないと感じます。

簡略化は言葉だけのものじゃない

言葉の簡略化というのはもうずっと昔から言われていたことです。

言葉を置き換え、普段使っていて伝えやすい・分かりやすいと感じている言葉を選ぶことで、言葉は
使う言葉  vs あるけどあまり使わない言葉
に分かれていく…

言葉使いのことが言われることもありますが、謙譲語とか最上敬語など、話す相手、伝えようとする内容によってニュアンスを使い分ける - そういうことも必要とされなくなっている? のかも知れませんね。

もしそうだとすれば、言葉は AI化 もしやすくなっていると言えるかも!?? ^^;

けれどこの「簡略化」 - 「効率化」と言ってもいいでしょうか - は言葉に限ったことではないですね。
もし、敬語の使い方に厳しさがなくなっているとすれば、人間関係 - 特に上下関係の厳しさもなくなっていくということにつながります。

もし、上下関係の厳しさがゆるくなるとすれば、たとえば -

  1. テーブルと椅子のあるパーティとか会合で誰がどこに座るかというような感覚も必要なくなります。
  2. 当然、上座(かみざ)・下座(しもざ)への意識も薄くなり、
  3. 上(かみ)、下(しも)という言葉も使われないようになる。
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そんな連鎖反応が起こるだろうと思います。

もしかすると、上手(かみて)、下手(しもて)という言葉も… ??^^; と。

ごく普通に暮らしているのに、自然に変化していく暮らしとそこでの意識が言葉を変えてしまっている -
このことをもう少し意識してみると良い翻訳ができるようになるでしょうか?

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