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母の生前、母から “人は変わるものなのだからあまり頑なにしていないで…” と私の頑なさをいさめようとした言葉を向けられたことがありました。
その言葉に私は… “頑なだとレッテルを貼るだけで相手を分かろうとしない、その姿勢のまま自分を正当化して終わりなのか!?” と逆らったものでした。

伝え、受け止めよう - その思いがちゃんと届かない同士で話しをしている。私と母は、最後まで互いにそんな感触を残したままの親子関係でいたように思うのですが、佐藤愛子さんの著書を読んでいると、佐藤さんの言葉には母の言葉を思い出させるものがたくさんあるなと感じます。

 

変わらないでいること。変わっていいこと。

背表紙に綴られている紹介文はこんな調子。

長きにわたる孤軍奮闘・七転八倒の日々の果て、ついに90歳を迎えた佐藤愛子さん。楽隠居を目指したはずが、猪突猛進の性向は変わらない。世相も面妖でけったいなことばかり。「--こうしてはいられない!」 駆け出す思いになった愛子さんが向かった先は? 3・11後の日本を、世相を、そして自分を鋭く考察したエッセイ集。

出典:佐藤愛子さん 著・「かくて老兵は消えてゆく (文春文庫)

そして、私の蔵書を見てみると赤い帯がかけられていて、その帯に示されている言葉に曰く…

from my bookshelf

かくて老兵は消えていく・私の蔵書から

「ようやく迎えた90歳・・・でも
楽隠居なんて、無理!

世にもの申したいアドレナリンはそうそう簡単に鎮まるものではないんだ! とでもいう意味でしょうか?^^;

この元気さこそ佐藤さん! 佐藤さんのファンは皆、この元気さと言葉の歯切れの良さを求めているのだろうなと思います。

ただ、背表紙の言葉に表されているように、2011年(平成23年)3 月11日の東日本大震災の後の日本という、みんなの気持ちや考え方がとても繊細になっていた時期に綴られたからなのか、佐藤さんの迷いのような、遠慮のような思いがにじんでいる1冊のような気もしています。

たとえば、原子力発電所の可否をめぐる告白ともとれる考察…

だが本当のところは私は反対なのである。原発の事故、危険を心配するというよりは私たちが原発から受けた恩恵があまりにも大きく、日常の豊かさと贅沢がすっかり染み込んで依存性が拡大し、人が人として本来持っている生きる力が衰弱していくであろうことを危惧するからである。だがそんな危惧の一方で国民生活はどんどん向上していき、私は自分が掲げてきた生活信条が少しずつ崩れていく矛盾にうろたえざるをえなくなった。例えば昨今の夏のただならぬ暑さの中で、かつて私が信条としていたエアコン否定の信条を守ろうとすれば命がけである。去年の夏、暑さで死んだ老女の新聞報道に「部屋にクーラーが設置されていたのに使用した形跡がない。年輩者の中にはもったいないといってつけない人がいる」というようなことが付記されていた。

信条と現実の板挟み。風力、水力、太陽光、火力に切り替えると簡単にいうが、それだけで果して国の需要に耐えられるのか? 素人ながらあれこれ迷い悩み、暑さと高温度で朦朧となりながら、エアコンのスイッチに手を伸ばしたり引っ込めたり。

ただただ、笑って読み流していいとは思えない、佐藤さんの真剣な問いかけを感じます。

その真剣な問いかけには、それまで感じてきた “一刀両断“、”舌鋒の鋭さ” と言われそうな勢いではなくて、「自分にとっての信条とか常識と世の中にこんなギャップを感じるんだけど、どう捉えたらいいの?!」 という迷いからの問いかけが含まれているように感じるものもあります。

 

自分に感じる変化の意味。それは自分だけのもの。

忠臣蔵にまつわる手紙の一節もそんな例です。

手紙の主も負けてはおれず、その殿さまのために家臣は四十七士となったのだ。殿さまに徳があったればこその忠義の臣である、というと、ガキ孫はせせら笑って、

「要するに赤穂藩はそんな藩主の影響を受けて、みんな常識知らずの石頭になったんだよ、世間智というものがあれば殿様には黙って、吉良の気に入る貢物を持っていっておけば丸くおさまったのだ。おばあちゃんはいつもいってるだろ。『いちいち教えなくても頭を使いなさい。頭は考えるためにあるのだ』って」
勝ち誇るようにいい、ばあさんはトドメを刺された心地して何もいえなかったらしい。

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確かに、この孫の切り替えしには絶句せざるを得なかったろうな^^; とは思うのですが、その手紙の主から

佐藤先生は私たちの代表選手です。何か一言、励ましのお言葉をいただきたいのです。

と言われた佐藤さんはこんなふうに続けています。

・・・手紙の主に向かって「がんばれ」といったところで、彼女はひとり我を張り通すだけ、がんばればがんばるほど孫にバカにされるであろう。だから頑張るのをガキの考え方など無視する。つまり「諦める」。つまり孤独に徹する覚悟を決めるしかなのではないか。
それではなんのアドバイスにもならないではないか、といわれるか? それではもう少し親身にいうとしようか。
「お気持ちはよくわかります」
「でも、でも仕方ないのです」
「これが時代です。人生です」
「これもこの世の修行です」
「お釈迦さまは何もかもわかっていて下さいますよ」・・・・

だんだん坊さんの説教じみてくるのだ。もはや私は敗軍の将なのである。

(中略)

「それならそれでよろしいではありませんか。老いぬればなにごとも穏やかなのが一番です」
私は返事にそう書いたが、投函しようかどうか、まだ迷っている。

柔よく剛を制す という佐藤さん新しいの境地を見るような気がしているのは私だけでしょうか?!^^;