佐藤愛子さんの逸話に思う親子というもの

「いつもと同じ」が幸せの基本なのかも知れない

ひと月ばかり前のある日、孫が学校から帰って来た。その顔を見て私はあっと仰天。
「なに! そのあたま!」
と叫んで絶句した。それまで孫の頭髪は鳥の濡羽色さならがら黒々と艶やかで、私は自分の灰色の頭を見ては、ああ若いということは素晴らしい、特別に何の手も加えず自然のまま真直に垂らしているだけでつい見惚れてしまうくらい美しいとひとかに感嘆していたのだ。そのうち孫はその長い真直な髪をボーイッシュに切ってしまったが、それはそれなりに活動的で若々しくキリリとしていて悪くはなかったのである。
そのサッパリとして凛々しい髪がなんと!

(中略)

孫が生まれて二十年、そう特別に将来を楽しみにして可愛がっていたわけではないが、まあまあそれなりにばあちゃんとして気を配って今日まできた。無論、年代の相違からくる価値観や感性の断絶はあった。だが、これも時代の趨勢なればいたしかたなしと諦めてよろず寛容を心がけ、それでもまあ、今どき見かけるヘソ出しやら厚化粧の学生に較べるとマシな方と考えて自分をなだめ、まあまあ満足していたのだ。

それが何たることか!

出典:佐藤愛子さん 著・「かくて老兵は消えてゆく (文春文庫)

この佐藤さんの話しとよく似た話しを、以前働いていた職場の先輩から聞いたことがありました。その先輩は一家のお父さん、その人の、当時高校に入学して間もなかった息子さんとの間の話しでした。

佐藤さんのお孫さんの場合はお嬢さんとその髪、私のその先輩の場合は息子さんの眉でした。

夕方、学校から帰って来た息子の顔を見て唖然としたそうです。その息子さん、眉毛をきれいさっぱりとそり落としていたと言うのです。先輩お父さんにとってはその価値観がまったく理解できない、ましてや、親にもらった体の何が不満で眉をそり落とすなんてことを考えつくのかと言うのでした。

自分探しのはじめ - たくさんの仲間が姿・形にとらわれた時期

先輩お父さんの話しを聞いた当時の私は二十代の半ばを過ぎていました。

私が中学・高校の頃は、学生服やカバン、それに髪や眉、場合によるとピアスなどで自己主張している仲間がたくさんいたことを思い出していました。
私の学生時代は、体育会系のクラブ活動をしている仲間たちの間でさえ、いかに長髪にするかというのが大事で、長い髪ほどもてはやされた時代でした。

私は私学に通っていたのですが、風紀委員という委員会があって、服装を厳格に守る校風が特徴の学校でもありました。
だから、形を変えた学ランやつぶしたカバンはご法度! くつ下の色も決められていましたし、つめえりのつめをきちんとかけているか?! というところからチェックが始まるのでした。

当時はまだ、男の子が髪を別の色に染めるという製品やサービスがなかったし、風紀規制がある以上、その学校の生徒としてできる自己主張は髪型をリーゼントにするか、額に剃りを入れるか - それもできる限り控え目に^^; - くらいしか方法がなかったのです。それでも誰もが、何とかして姿・形として自分を表現しようとしていました。

眉を剃るという自己主張もある時代でしたが、それはほんとうにアウトローでいる覚悟の上でやる行為だったのです。

私はと言えば、自分でバリカンを使い五分刈りにして過ごしていましたが、考えてみると丸坊主の頭が自己主張だったように思います。自分ではそんなふうに意識はしていなかったのですが、長髪ブームの逆だなぁとは思っていましたから^^;

だがその時、孫は私に向かって何といったか!

「だって、タダだっていったんだもん・・・」
といいおったのだ。

「なにィ・・・」
何という下司な根性だろう! 「タダ」の何がいい!
前々から髪を染めてみたいという気持ちがあったわけでもなく、何かの必要があったというのでもない。それなりの考え、目的、主義、必然性があった上で決断したことなら、私は許す。何の必然性もないのにただ「無料」だらかということでフラフラとついて行ったその根性が情けない。「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と・・・ 誰がいったのだったか、興奮しているので名前が出てこない。

私の先輩お父さんも佐藤さんの感覚に近いものを感じていたのだろうなと思ったものでした。

佐藤さんのように孔子の教えまでは思い浮かばなくても、結婚するなら “3高” を基準に選ぶといったその頃の流行り(?) に - 20代の若さなのに!? - つまらない時代だ! と思ったくらいの年代の人間ですから、佐藤さんや当時の先輩お父さんの戸惑いや怒りが言おうとしていることはそれとなく理解できるつもりです。

けれど、「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く・・・」 の教えもその言葉の中にあるように 「孝」とは切り離せないものです。そして多くの人が想像できるだろうと思います。「孝」の隣には「仁」が、その隣には「義」が、切り離すことのできない価値観として並んでいたのです。

「孝」に縛られるのをうるさく感じてたとえば「親孝行」に反抗しようとしても、「仁」や「義」のブレーキがかかっていたのです。

正しいものを伝える - 祖父母はブレのなさと正義感の象徴・社会の代表だった??

だから、私の祖父も祖母も怖かった。
怖かったというのは - 何かしら言われる、子どもの理屈を通してはくれない頑丈な価値観を持った人たちだったという意味です。それは言い換えると、子どもたちに伝え・教えなければいけない規範をそれはたくさん知っている人たちだったのです。

そもそも
子どもというのは、親をはじめとする年長者に守られ・育てられ、教わる立場の者
というところからスタートする価値観がありました。

ここで大事なのは、
その子どもの保護者 - 普通は「親」 - は子どもの言動に責任をもつ者
であり、
子どもは親をはじめとする年長者に守られ・育てられ・教わって成長するものだという自覚を持て
という価値観がセットになっていたのです。

言ってみれば、私たちの親より先輩の人たちは人としての正義 - 善悪やあるべき姿 - を教えられ・知っている人たちで、私たち子どもは事あるごとにダメ出しされるといってもいいほど、正しいことを教えなくてはいけない! というエネルギーを持っている人たちだったのです。

佐藤さんが、歯に衣着せずものを言う人というように捉えれているのもそれ故だと思います。
祖父母はもちろん、佐藤さんにとって正しいものは、社会の誰に聞いても正しいものだった - とかくブレがちな価値観だからこそ、みんながそうやって正しいものを守ろうとしていたと言ってもいいでしょう。

もしかすると佐藤愛子さんはそのとき、孫のお嬢さんが自分なりの理由を持って髪を染めたと説明したとしても、だからこそ、髪を染めたということを受け入れはしなかったのではないかと感じます。
少なくとも私の両親やその両親(私の祖父母たち)はそういう人たちでした - 両親は佐藤さんより若い世代、祖父母は佐藤さんより年長の世代です。

子どもはその時、その空間でどういればいいのか・いるべきなのかさえ教えられ・指示され・諭される - と言えば「まさかそんなことはないだろう!?」「 親だってそんなことはできるはずもない!」と言われそうですが、実際にそうだったのです。

朝、目が覚めてから寝床を出る - 親の気性や子どもの性格次第ではあったでしょうが、そこからです。

 

「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」の教え一つにしても、そういう毎日の暮らしの中、親子の価値観を事細かに確認する中で維持されていたものだったのです。

言い換えれば、佐藤さんはご自身が語られているように、お孫さんの人格を尊重する(?) こととこの教えを両立することができていたろうかとも言えるのです。
もちろんこれは私たちみんなにも言えることです。

私の言葉で言えば、「孝」を思い忘れるなかれ! という子どもに対する教えは、子どもの人格を尊重する - たとえば、子どもの思いに耳を傾け・受け入れ・正しい方向へと導かなくてはいけない? というような - 親自身への規範とセットだったとは思えなかったなと感じるからです。

「そうそう! それがゼネレーションギャップだよね!」 と言って終わりにする私たちも 「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」の言葉は聞いたことがあっても、その中身・意味を知らないかも知れないのです。

だとすれば、子どもの人格を守る世代・個性尊重の世代の人間です。自分の子どもが髪の色を変えたとしても、眉を剃り落としたとしても、私たちの祖父母や両親が言ってように
世間に顔向けができない とか、私が恥ずかしい とは間違っても言ってはいけない。

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どうしても言いたければ、少なくとも私は好きじゃない - が親として最大限の抵抗? のように思います。

しかも、子どもの人格を守るとか、個性を尊重するといっていたのが嘘でないのなら、保護者(親)として子どもの行動に責任を求められれば最大限、それに応える覚悟を持つこと。
さらに、子どもの人格を守るとか、個性を尊重するのであれば、その保護者としての覚悟を振りかざしてはいけないはずです。

人として生きる - それはやはり、そんなに簡単に済ませてしまおうと思ってはいけないことなのかも知れませんね^^;