本人の意志を確認する - その理想と現実

決断 - 輸血をどうするかという決断

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伝えるべきかどうかという判断は誰がするのか

緩和ケア施設への転院を促すために、私は事実を事実のままには話しませんでした。「もう治療ができないんだって」と伝えただけでした。治療ができない - それが、母が言っていた「手の施しようがない状態」だとは言わなかったのです。

それはどういうことなんだ? 自分はどうなるんだ? と母は聞いてきませんでした。その時は説明してやらなければならないだろうと覚悟していたのですが、母はその質問をしてはこなかったのです。

正確には、転院前、がんセンターで最後の輸血を受けていました。出血を止める手立てもなくなって重度の貧血状態に陥り、延命のための輸血を受けた入院でした。

ですから、緩和ケア施設へ行っても輸血なしには延命できない - それが分かった上での転院でした。

しかし、治療ではなく穏やかな最後のための緩和ケアをしてもらう施設への転院です。輸血を頼めるものではないのだろうというのことは素人の私が考えても想像できることでした。
つまり、血液が足りなくなればそれまでです。

輸血の助けで精神状態が回復していた母にも、そうした状況を判断する力はあったように思います。あるいは、自分の体のことに疑問を持つだけの判断力はあったろうと思うのです。
それでも私は詳しくは説明せず、母も詳しく聞こうとはしなかったのでした。

自分の体がどうなるのか、がんセンターを離れ緩和ケア施設に入ったということがどういう意味なのか - 母が母なりに理解したのだろうなと思ったのは、緩和ケア施設に入って3日後の母の言葉でした。
「自分が自分でいられる間に伝えておきたい。ふたり(私と妻)にはこれまで本当に色々やってもらってありがたかった。感謝してます」と。

memory of my determination
(c) Can Stock Photo / Veneratio
緩和ケア施設の主治医からもらった提案

緩和ケア施設の主治医はその施設の創始者で院長を勤める人でした。
その院長も「輸血は本来、治療のためのものだ」と説明してくれました。そして

「輸血は患者さんの苦しみを無駄に延ばすことにもなりかねない。だから輸血はしないのが本当だと思う。しかし、患者さんが患者さんらしく、尊厳をもって最後を迎えてほしいというのが私たちの考えです。
出血による貧血が進めば患者さんはそれだけでまともな精神活動ができなくなります。その状況や苦しみを和らげるかは輸血に頼るしかない。
だから、ご本人とご家族が望むのであれば輸血を考えましょう。輸血を望むかどうか、本人の意思を確認できるのはこれが最後のチャンスかも知れない」

そんな提案をしてくれたのです。

輸血で血圧が上がることでさらに危険な状態にならないと限らない - その説明を受けても母は輸血を選びました。

輸血の限界と私の決断

ただ、輸血することを決めたものの血液が間に合うかどうか分からない状態になりました。母はがんセンターでも2度の輸血をしてもらっていたため、適正と診断できる血液がないという状態になってしまったのです。A型だからA型を輸血できる - そんな単純なものではないのですね。

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1度届けてもらった血液は適正ではないということで再手配してもらわなければなりませんでした。幸い、再手配してもらった血液が適正なものだということが分かり、母は文字通り命をつないでもらったのですが、転院から1か月あまりの時間が、私にたくさんのことを教えてくれました。

施設の院長は私の願っていたことをそのまま言葉にして輸血の提案をしてくれました。そして、その提案とその後輸血用の血液を待つ母の様子もつぶさに見ていました。
そうした時間が、これ以上の輸血はしないという決断を私にさせてくれたのです。

to be continued …

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