クローズアップ現代+「“息子が介護”の時代」で考えた家族・息子

家族って、親って、息子って… あらためて確認しながら見た番組

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核家族化という暮らし方の形は、私たち自身が選んできたもの - そういう捉え方をしてみると、老老介護や息子介護というような将来を想像することもないまま、意識することなく自分たちで選んできたもの… そう言えるのかも知れませんね。

老化のシグナルを見逃さないように… という言葉が番組の中で語られていたけれど、私たちは家族の変化が自分たちの将来に関わることだということを見逃して、自分たちの思いだけを追いかけてきたのか⁈ とも感じました。

家族を離れて自分との時間が増える。
親にやいのやいの言われず、自分のペースで自分が関心の持てることだけに集中していることができる - たとえば私たちは、独り住まいにそんなメリット、イメージを重ねていたように感じます。そしてそれが、独り立ちしようとする若い者の個性を尊重する? ことにつながるはずだとも考えていたように思うのです。

しかもそんな独り立ちも、これまでは家族とのつながりを切り離したところで成り立ってきたような気がします。だからこそ、突然やって来た介護… という話しになってしまうのかも知れないと。

家族といっしょに寝起きしない… そんな一人住まい。そのことが、家族とのつながりさえ切り離すことにつながってしまっていた⁈ 一人になった片親も一人住まいで、自分のことを自分ではできないようになって、子どもの側は親子というつながりがあったことを気付き直している?! そんなふうに見えるなと感じながら番組を見ていました。

息子たちは、簡単にスタイルを変えることができない!?

とかく、

  • 自分でなんとかしなくてはいけないと、ひとりで背負い込もうとするところが男にはある
  • より完璧でなければいけないと自分を追い込むような感覚が強い

だから、介護する身になった息子たちほど、自分で自分を追い込んでしまう…
息子たちの危機の原因をそんなふうに分析して、

  • もっと柔軟に
  • もっと助けを求めていいのだと考えられるように

という話しもありました。

なんとも切ない話です。

男に生まれた以上、これこれのことには責任がある… そんなふうに
泣いたり騒いだり、逃げたりすることが許されずに大人になって、歳を重ねた息子はちゃんと⁉︎ 自分を追い詰めるように育っているんだな… そういう息子たちが世の中にはたくさんいるんだなと思ったのです。

他家へ嫁に出た妹には、実家のありように口出すすることはできない。両親のことは兄である者が決めて実行してくれなければ…
母の最期をどうしてくれるのか! …
そんなふうに話していた兄妹たちの言葉の記憶が重なります。

息子は母の介護をしてやれないと感じた瞬間

三度三度の食事の用意はまだいいように思います。
風呂を掃除して入れるように準備してやったり、トイレを掃除してきれいに気持ちよく使えるようにするところまではいいでしょう。

母の女性としての尊厳を守ってやりたいと思えばそこまでなんだなと思った瞬間がありました。
着替えでさえ、息子は手を出すべきではないんだなと思ったのです。私には妹がふたり、母にとっての孫は7人のうち5人までが女性。私の妻を入れて、普段の生活は女性たちに囲まれて過ごすことが安らぎであり安心だったはずなのです。

認知症はありませんでしたし、精神状態はとてもしっかりしていたと思います。だからかも知れませんが、買い物ひとつにしても、息子の私はドライバー&荷物持ち、妻や孫娘たちが買い物や料理の相手でした。そういう役割りでいる方が、母は自然におちついて過ごすことができていたのです。

そしてそんな中、自分ひとりで暮らせるから! と介護スタッフに支えられる生活をある意味楽しみにしているある日、私は母に尋ねたのです - これから先、もし自分で自分のことができなくなるようなことになったとしたら、おむつの世話を私がしてもいいかい? と。

それこそ精神状態がしっかりしている状態だとお互いに意識しながら話しをしたのです。どうしても… のときは、できるところまで私が世話をするからと宣言するつもりで訪ねたのです。

ところが、「それはちょっと困るなぁ」- それが母の答えでした。妻も、もしもの時、どうしても必要となれば… と覚悟をしながら、それでもどこまで世話してやれるだろうかと迷い苦しんでいました。だから母の答えを聞いてからは、母のためにも息子は手を出すべきではない… と思っていました。

その思いの中の「息子」には、妻をはじめとする自分の家族みんなが含まれていたのです。

自分らしい・親らしい最期を選べるとしたら

今の時代だからこんなことを言っていられるのかも知れない… そのことは重々感じていますし、承知しているつもりです。ただ、こんな Living Will もあるということを覚えておかなくてはいけないような気もするのです。

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最期をどう迎えるか - 私は母との間で時間をおいて、いろんなシチュエーションいろんな時に繰り返し話しをすることができたように感じます。そして、がんとの闘病の終末期、私の目には見えないものと言葉を交わしながら、みんなには触れさせられないものが自分の周りに集まるようになっている、もう見舞いにも来てくれるなとまで口にするようになった母を相手にしても、何を望んでいるのかと思いながら話しを聞こうとしていたことを思い出します。

そのときには意識はしていませんでしたが、今回のクローズアップ現代+の番組を見ながら思いました。

親の最後に立ち会いながら、自分らしい時間を過ごしてもらいたいと望むとしたら、それが自分にとっても安らぎの時間になってくれればいいなと。
そして何より、そう感じられるかどうかは、親ともども、助けてもらう自分の心のあり方で決まるものだと。

 

 

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