インフォームド・コンセントというのは、本来、患者本人と医療の間のことなのかも知れません。

けれど、自分の父親や母親が75歳を超えるような高齢者なったとき私たち子どもが気をつけなくてはいけないのは、医療に限ったことではありません。父や母が自分を取り巻く生活の中のあれこれの問題に、理解力と判断力、そして体力や経済力を持ってconsent(コンセント) - 合意 -できているかどうか… に気を配って見守らなくてはいけないのです。

自分がどんな状態かを理解し、どうすればいいか、父も母もしっかりと説明され、その説明を理解して、私たち子どもからの働きかけが合意できるものかどうか、判断し意思を表現できることが望ましいのです。

特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(英: informed)、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する(英: consent)ことである(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれる)。

出典:Wikipedia 「インフォームド・コンセント

高齢者の理解力、判断力、体力の健康度は普段の生活に現れる

治療しよう、治ろうと思えているかどうか

両親が70歳を超えるころになると口にすることが増えるかも知れません。
疲れやすくなって根気が続かなくなっている… と。

たとえば、編み物が好きだったけれど、視力が衰えて手元を見続けることができなくなった。メガネをかけること自体をわずらわしいと感じてしまって、結局は好きだった編み物から離れ気味になってしまっている - そんなケースです。

 

あるいは、体の不調を訴えることが増えているかも知れません。

そんな父や母に病院へ行ってみないかと誘ってみても、普段の生活の中の負担を軽くしてほしいからと食事の準備などを手伝おうとしても(あるいは、手伝わせてほしいと話してみても)、病院にいくほど大袈裟な症状ではない、自分でやるべきことができないことの方がストレスになるからと、こちらの働きかけや思いを逸らす、はぐらかすことが増えている - そんなケースもあるでしょう。

心と体の健康度の悪化はそばにいる私たちには気がつきにくい形で進行します

好きだった編み物が続けられない - それは1つの挫折感となって、高齢者の心の亀裂となります。たとえば、「編み物ができなくなってしまったのだから…」と言うような、次のマイナスを口にするようになったらよくよく注意してあげましょう。
「編み物ができなくなってしまったけれど…」と編み物に変わる楽しみを見つけられるかどうかに気を配ってあげてほしいのです。

 

あるいは、体のどこかが痛くて医師の診察を受けたとき、「無理をして痛みが出ないよう、安静に過ごしてくださいね」とアドバイスを受けたとすると、「痛みが出ないようにするためには動いてはいけないのだ」と捉えてしまって心も固くしてしまうことがあります。
特に「治療も進んだのでリハビリを頑張りましょう!」 と呼びかけても、委縮した心が応答できなくなってしまうのです。「あれほどの痛みがやっと落ち着いてきたのだから、動くわけにはいかないよ」と呼びかけを拒絶するのです。

もちろん、治療からリハビリと、自分の体の状態全体に関する説明をしっかりと理解できるか、そのためにどんな説明をすればいいかという働きかける側の問題もあります。

けれど、治療とリハビリのつながりを理解できているかどうかは多分、その時の反応で直感的にと言っていいほど即座に感じ取れるものです。これももちろん、素人の判断は慎まなくてはいけません。その時に感じた違和感を専門医に相談するようにしなくてはいけないでしょう。

ただ、リハビリの必要性は理解できるけれど「やりたくはない」「やろうとは思わない」という反応が来るようであれば、固くなってしまった心を溶かすアプローチが必要だということを意識してあげてほしいのです。

高齢者、両親が「合意」しやすいようなアプローチを

父や母が70歳、あるいは75歳、80歳と年を重ねたとき、たとえば買い物、あるいは旅行に行きたいとか、あるいは医師に診てもらいたいなど、自分にはむずかしいと感じることに出会ったときに「手を貸してほしい」と言えるようなアプローチをしたいのです。

スポンサードリンク

体の不調の原因と症状、治療の必要性、治療として考えられるオプション(選択肢)、治療のあとに必要になるかも知れないリハビリ、その期間や費用など、ごく普通に、自然に理解し判断を求められる項目に対応できるかどうか - それはインフォームド・コンセントが本人と医療の関係を本人が管理できるかどうかの問題ですが、実は、それと同じ視点で本人と本人が向き合っていることの関係を見比べてあげる視線がほしいのです。

  • 庭木の剪定や庭の掃除をどんなふうに進めればいいか
  • 故障してしまった湯沸かし器を点検し、必要なら交換してもらうにはどうすればいいか
  • いつものスーパーが休みだけれど、今日欲しい食材を買うにはどこへ行けばいいだろう

わざわざあげる必要がないほど、普段の生活そのものに理解し、判断し、行動する - しかも自分で対応する。
つい昨日まであたりまえにできていたことを、「どうしようか」と考えるケースが発生するごとに高齢者(両親) が合意(納得)できるアプローチを心がけたいのです。

「これは手伝ってほしい」 - その判断を自分でしてもらえるアプローチを目指したいのです。