義母を見守る - 父との経験を活かせたなら

義母の病に感じていること

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この記事をはじめて書いたのが2017年の5月。
そして、私の義母が下肢に蜂窩織炎(ほうかしきえん)の診断を受けたのはその当時から計算して数年も前のこと。そして義母は、

  • 下肢に負担をかけないよう長時間の歩行を避け、
  • 長時間、同じ姿勢でいないようにする
  • 医師が勧めてくれた下肢の血行を促進してくれる弾性ストッキングを着ける
  • 入浴で体を温めすぎないように気をつける

診断に際して医師からもらったアドバイスを義母なりに理解し、守ろうと努力してきました。

同居しているわけではありませんから、義母の様子は家内の説明を通して知る以外にありませんが、下肢に強いリウマチを病んで苦しんだ父を見てきた私は義母の周りに、緩やかな、けれど忘れてはいけない危険を感じていました。

自分で暮らすということは

そもそも義母にとって受け入れるのがむずかしいのだろうなと思うことは、医師のアドバイスに留意しなくてはならなくなったということ、それまでの自分の体ではなくなったということのようでした。弾性ストッキングを着けることは足に負担を感じることでしょう。けれど、その負担よりも、そうしたストッキングを使わなければならなくなったということの方が問題だったように思うのです。

蜂窩織炎の治療後も義母の足にはリンパ浮腫の傾向が出て、それまで積極的だった散歩や自転車を使っての買い物もできなくなってしまいました。できなくなったというよりは、義母は少しずつ、自分の体の状態を受け入れて、その体に合った暮らし方ができるようになったと捉えるべきなのだろうと思います。

義母本人は「自分でできることは自分で」の思いをなくしてはいません。
散歩のように足を動かしたあとは足を高くして休み、リンパの代謝を助けなければ… と教われば忠実にそれを実行していましたし、それでも、食事を用意する時間に支障が出るとなれば、散歩も近所へ買い物に出ることも控えるようになり、足腰に負担が少なくてすむのではないかと考えれば、坂道のない平坦な場所へ自転車で出かけたり - それは、涙ぐましい努力を続けてきたのです。

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しかし最近では、家の庭や玄関先などごく身近なところで、ころんだり、足を踏み外して体をぶつけたりということが増えてきたのも確かです。家内は以前から、買い物などは自分が付き添うこともできるし、自分が運ぶようにしてもいいからと言っていたようですが、買い物も電話で家内に頼んでくるようになり、私も手伝うようになっていました。

義母の明日を思うとき

義母に限らず、80歳、85歳を超えた高齢者が “自分の体の状態を受け入れる” というのは、気持ちが一回り老けてしまうということでもあります。そして、足を動かせなる、(歩きたいのに)歩けなくなるというのは、見守る私たちもよく注意してあげなくてはいけないことです。

私の父の場合は - 今となっては推測するしかありませんが - たぶん、精神的な老化が先にきてしまって体を動かさなくなった。義母の場合は、動かしたいと思う気持ちに体が応えてくれない… それを受け入れざるを得なくなっている。症状は違っても、私たちは義母の思いを尊重して、その思いを形にするような見守りができるように努力しなくてはいけない、そう思っています。

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