大人になって、命というものを身に染みて考えたり感じたりしたのは、やはり、母のがん闘病に付き添っていた時期だったと思います。

中でも、余命宣告を受けて1か月、残る時間がどのくらいあるものなのだろうか、それが分からない中でも、少しでも自分らしく過ごしてもらうために何ができるだろうかと考えていた時期にたくさんのことを考えていたように思うのです。

 

余命宣告を受けたあとの時間

どれくらい効果が出てくれるのか確証があるわけではない。けれど何もしなければ残る時間は3か月と言われてからのことでしたから、「時間」とか、「限り」というものを強く意識した時期でもありました。

余命宣告を受けたのは11月の終わり近くでしたが、母本人は、3か月という数字に悲観的になるのではなく、主治医が勧めてくれた投薬を受けて治療するのだ、家に戻るのだという思いに支えられて、実家での自分の生活を準備することに一生懸命でした。

とどめることなく続けた、春を迎える準備

その母のそばで、母の言う、母の生活を支援できるように、孫や私たち子どもがいつでも思ったときに実家を訪れたり、止まったりできるようにと、特に12月に入ってからというもの新年を意識しながら、実家のリビングやキッチン、ダイニング、昔自分たちが使っていた部屋を片付けたり、足りないこたつを置いたり寝具を用意したりと、毎週末の土日を掃除と片づけの2日間として過ごし続けたものでした。

タイル張りの冷たい風呂場、ビニール製の床材で水分を防いでいた洗面所兼脱衣所は、リビングとの温度差が5℃を越えていましたから、それぞれの床に厚手のマットを隙間なく敷き詰めました。

実家で使っていたガスストーブの置き場を変え、入浴したい時間の少し前から脱衣所・浴室の空気全体と温められるようにもしました。

自分や家族、あるいは兄妹や甥・姪が長時間を過ごすことになる部屋の壁紙を張り替え、ホットカーペットを引けるようにもしました。

そして何より、実家の庭と母屋を取り囲む土地に細かな除草を施したり、遮光シートを引いたり庭石を敷き詰めたり - 近づく春の陽射しが母の寝室に十分に届くように、窓を思うように開け放てるように、そしてそれまでどおり、春を待つ庭木の剪定をしたりして、母が迎えようとしている新しい春に備えたのです。

きのう、きょう、あした - つなぐことができなくなっていた時間の中で

しかしそんな私の胸には、誰にも分からないその日、その時はかならずやって来る… その思いがずっと横たわっていました。

別れに対する悲しみや恐怖感というものではありません。希望のない準備をしているのではないか… というむなしさを感じることもありません。
あったのは、「時間を刻んでいる」 - そのはっきりとした意識だけでした。

私が感じていたのは、必ず明日はやって来てくれる… という明るさと、どうしても明日になってしまう… という暗さの間のような感覚だったように思います。
時間は確かに流れている、けれど、その時間をどこにつなげばいいのか分からない - そんなことを思っていたように思います。

スポンサードリンク

かつて、老いは自然にやってくるものだった。春が来て花が咲き、やがて実を結び、そうしていつか葉を落として枯れ朽ちて土に戻るように、自然の廻りに従って人は老いに入っていった。特別に身構えも覚悟もいらなかった。それが人間の自然であるということを誰もが一様に知っていて、それに従った。長寿がめでたいのは、長く生きたことによって自然に枯木になって死んでいけるからであろう。エネルギーが涸れれば、執着も自我も怨みも嫉みも、そして死への怖れも枯れていく。「煩悩の解脱」など、我々凡人には肉体が枯れる以外にそうた易く出来るわけがないのである。

出典:佐藤愛子氏著・「こんなふうに死にたい (新潮文庫)

佐藤さんのこの一節は、当時、私の頭の中にあって、まだ言葉にならないでいたぼんやりとした思いにとてもよく似ています。

私が感じていたのは「生」とか「死」ではなくて、「時間」だった - そんな気がしているのです。

to be continued …