老後の日に思うこと

今日は老後の日!?

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6月5日の語呂合わせで今日は老後の日だとか。

つい先だって、もうずいぶん長い時間が経ったような気がするなぁと言いながら、亡き母の命日に合わせ、母の弟にあたる伯父を交えて兄妹と墓参り方々、食事をする機会を持ちました。

伯父は、「もう後期高齢者の仲間入りだよ」と笑っていましたが、御年75歳。タクシーの運転手をしていた人で、70歳もそう遠くはないという歳で軽度の脳梗塞にかかったとき、体に異常を感じたところで自ら医者の助けを求め、ことなきを得たという経験の持ち主です。

 

自分の体のことは自分が一番よく分かっている?

話すとき、それとは分からない程度に滑舌がスムーズではないかな? と感じるほかは体に麻痺もなく、処方された薬とリハビリを重ねて仕事に復帰していました。

ただ、高齢のドライバーによる高速道路の逆走やペダルの踏み間違い、車だけではなくて周囲の人を巻き込む事故が頻繁にニュースで取り上げられるようになったのがひとつのきっかけにもなったのでしょう。70歳を少し過ごしたところで、タクシードライバーとしての営業権を手放し、年金生活に入ると宣言したのです。

子どもたちは所帯を持って伯父のもとを離れているから、暮らして行くには自分のことに集中すればいい。健康上の経緯や年齢のことを思えば、人命に関わるような致命的な過ちを犯さないとも限らないし、体力に絶対の自信があるわけでもない。このあたりが自分の潮どきだと思うことにした - それが伯父の説明でした。

自分の体のことは自分が一番よく分かっているつもりだから - そんな意味合いの話しをしていた伯父は、潔さの反対側でさみしい思いをしていることだろうなと思ったものでした。

現役を退いて老け込んだ伯父

ただ、その話しを聞いて1年経つか経たないかで再開したとき、伯父の姿に少なからずショックを受けました。
現役を退く、仕事を辞めるというのがどういうことなのか、そのひとつを目のあたりにしたような思いがしたものです。背中を丸め、歩幅も小さくなり、思わず伯父の傍らに立って体をささえようかと思ったほどでした。

思考回路の働きもちょっと弱くなってしまったかなと思わせるくらい、心もとない口ぶりで話す様子に戸惑いさえ感じ、別れる時にも無事に帰り着くだろうかと思ったりもしました。いったい伯父の実に何があったのでしょう。

自分を通して高齢者を語った伯父

この間の墓参りでの再開は、そんな心もとない様子を見送ってから1年が経っていました。そして、伯父自身が、「老け込んだ」という言葉で自分を語って聞かせてくれました。

現役のときのようなわけにはいかず、白髪の割り合いは増え、メガネなしでは過ごせなくなっているようでしたが、体全体から力がなくなってしまったような細々とした頼りなさは影をひそめ、年なりの静かな落ち着いた風貌になっていました。

 

(c) Can Stock Photo

その伯父がこんなことを話していました。
自分で考え、自分で選んだ現役引退だったけれど、仕事を持たなくなったというのは心細いというか、より所がなくなってしまったというか、世の中全体から必要とされなくなったと言われているような切ない感じだったと言うのです。

そして、75歳ということは間違いなく高齢者だよなぁと思ったよと笑ったのです。

伯父の父 - 私にとって祖父にあたる人 - は、体は大きくたくましい人で力も強かったのですが、今であれば障害者手帳を持っていたろうと思う障害を持っている人でもありました。血圧も高く、脳溢血の発作を何度か超えて生きたような人でした。

そうした祖父を親に持った伯父は、いつの頃からか、「親父のようになる確率は高いのだろうから、健康には気を配らなければいけないな」と思っていたそうです。そして、「それだけ気をつけてきたつもりなのに、やっぱり自分も親父と同じような感じになってきたなと思うよ」と言うのです。

脳溢血の発作に見舞われても、祖父は麻痺して動かなくなった半身を自分の体に縛り付けるようなやり方で自分のことは自分でやろうとし続けていました。自分のための訓練だと言って、杖を持ち、それこそ半身を引きずるようにして散歩に出かける日課を欠かさずに続けていました。伯父は、そのガッツさえ、真似しなくてはなと話していました。

父親に自分を重ねて

伯父が祖父に自分を重ねていたように、私も自分を父に重ねて考えているように思います。

思えば、父は、現役の真っただ中に背中や足腰の痛みを訴えるようになっていました。今の私に言わせれば、年相応の、筋力の衰えがもたらす男の更年期 - その予兆のような症状だったのではないかなと感じますが、その痛みの延長で(同じ場所から)リウマチの診断を受けたのです。

その父の血を半分もらっているのですから、同じような健康上の悩みを持っても不思議はないかも知れないなと思っています。
いくつのときにこんな病気をして、いくつのときには入院もしていたかな? - そうやってたどってみると、私は父よりは頑丈にできているような気もします。

この健康は両親に感謝しなくてはいけませんね。

 

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年を重ねるということは、自分の両親を思い出すことかも知れません。

私が父と決定的に違うのは、父は定年前に隠居していたがっていたということ。父の時代は55歳定年の時代ですから、驚きますね!^^; 50代前から楽隠居を夢見たふしがあるのですから。その点私は、自分と家族のためにも70歳を超えても仕事を続けている高齢者でありたいと思っていますから、変われば変わったものです。

伯父が自分を語って聞かせてくれたように、まんざら空想の話しではありません。イメージトレーニングからはじめて自分の暮らしをシミュレートしてみる - それもできれば楽しいところから - のも大切なような気がするのです。

 

 

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