終活 - 子どもだからこそ持ちたいたくましさ

相手の納得が自分の満足につながるということ

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親と自分たちが本当に納得できる選択」 - そのために何より大切なのは、どうしたいか、何を大切に思っているのかという互いの思いを伝え合える関係でいること… そのことに気づくことができると、もしかしたら、それまで感じていた相手に対する苛立ちや不満を忘れることができます。

こうすればもっと楽だろうに…。なぜこちらの心配を分かろうとしないのだろう… 。もっと素直に言う通りにしてくれればいいのに…。
私たち子どもが親のことを考える時、そんな気持ちになる場面があるかも知れません。

その気持ちは親子の間ではありがちなものだと思いませんか? ただ、相手を思う気持ちが前に行き過ぎてしまうと、その時点で自分の気持ちは相手に対して一方通行になります。押し付けでしかなくなってしまいます。あるいは、そのことが分かっていながら、やっぱりそんな態度で接してしまうということも多いのではないかと思います。

子どもの立場で親の反応に苛立ちを感じたとしたら、自分の気持ちを押し付けようとしている - そのことに気づいてください。 「相手を思うからこそ」だと言いながら、実は自分の満足や安心のためだという姿勢になっていないかと、自分を振り返る勇気を思い起こしてほしいのです。

もちろん、気持ちはお互いに作り合うものですから、親の側にも「自分の気持ちを子どもに押し付けようとしている」と自覚してもらいたいものです。けれど、その思いを一旦脇に置いて親の言葉に耳を傾ける - それが「聞く」ということです。

こうすればもっと楽じゃないかと思うんだけど、そうしたくない理由を教えてくれないか? … そんなふうに、押し付けるのではなく、差し出すようにしたいのです。

差し出した手を無碍にたたかれるような反応をされることもあるだろうと思います。もし、そんな反応が返ってきたとしたら - 残念なことかも知れませんが、それが、子どもの私たちが親を守らなくてはいけないというシグナルです

「若者(子ども)は、年長で経験豊かな先輩(親)の言うことを素直に聞くべきだ」 - 親の世代はそう言います。そして、そういう言葉に対して、
「豊かな経験を積んでいるのであれば、先輩(親)の方が経験の足りない若者に合わせる柔軟性を発揮してくれるべきだ」 - と子どもの世代は応酬する。

どこにでもある親子喧嘩のようですが、どちらが先に歩み寄れるかに気をつけてみてください。歩み寄る懐の深さを発揮できる方が保護者です。

捉えようによって、「それって、個々人の性格にもよるんじゃないの?!」という疑問が出てきそうですが、どちらの年齢が上か下か、ではないのです。
歩み寄れるかどうかなのです。

寄り添い支えることができたなら
(c) Can Stock Photo

伝えるということができなくなるとき

自分の納得度や満足度というのは、実は、相手がどれくらい納得しているかによって決まります。その「納得できているね」という、相手の気持ちをちゃんと感じ取ることができているかで違ってきます。

親の年齢が進むと、伝えることができない、理解させることができないという事態に遭遇します。その中で「親の納得できる選択」をしなくてはと思ったとき、「聞こう」としてきた姿勢が自分を支えてくれます。

介護サービスの利用を考えるタイミングに分かること

たとえば介護サービスの利用というのは、

  • 申し込みに必要な手順を確認し
  • 言ってみれば契約をして

利用するものです。

これは、会社勤めをしたり、子どもを幼稚園や学校に通わせたりといった、普段私たちが過ごしている生活の中でこなしている社会的な活動と同じものです。
自分の親たちも同じようにして私たちを育て、暮らしてきたのですから、

  • 介護サービスはどんなものか
  • どんなふうに利用できるのか
  • どんな意味で自分に必要か
  • どんな意味で家族の安心につながるか

理解してもらえそうに感じますし、理解してほしい、理解させてあげなくてはならないと感じます。そこが、伝えたい、伝えようと思うことが伝えられるか・伝えられないか - その境界です。

介護サービスの例のように

  • サービスの仕組み全体を理解し
  • 手続きの順序を理解する

のに時間がかかる、時間をかけて理解することができたとしても、契約など実際の手続きを進めることができないという状況に陥るようになることもあることでしょう。

親の言動を間近にみていれば、親の理解力や行動に任せられるかどうかは嫌でも分かるでしょう。

もし、「事務的なことは自分にはむずかしいから任せるよ」 という言葉を聞けるようになったとすれば、「聞く」ことができる親子の関係ができていたという証かも知れません。
ただそれでも、理解はできていても自分で必要なことをすることができないという、親がどこかで感じている苦しさのようなものを思いやってあげたいのです。

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任された事務手続きを進めながら、これこれのことをこう頼んだからね… その説明が親の納得を助けるということを忘れずにいたいのです。

親が、認知症のようにはっきりとした診断を受けた症状を持っていたとすれば、私の経験でははかり知ることのできない苦悩が子どもの側にあるはずです。
「認知症」という診断を受けていないとしても、親が自分で自分のことを、「ぼけてきたんだろうかね?」と話すなんていう状態になれば、なおさらのような気もします。

それだけに、「まず知ること」、そして「聞く」ことの意味と姿勢を普段から少しずつ、自分のものにできたらと思うのです。

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