患者を支えるということ、家族にも支えが必要だということ

患者とその人を見守る家族は同じ時間を共有しているのです

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治る見込みのない治療を受けたくはない

そう言っていた母が、余命宣告を挟んで手術を受け、投薬を受ける - それは、患者が自分の思い通りの医療を受けるには通らなくてはならない関門が幾つかあるということの例であり、患者に限らず、人の気持ちは周囲の人たち(特に家族)と一緒に実現するものだということの例のように思います。

下血、吐血の原因になっている十二指腸を侵すがんを取り除けないと理解した母が、なぜ手術を受け、その後の分子標的薬の投与を受けようと決断したのか -

出血を止めることのできる手術を受けることができなくなっていた母の身体は、そのままであればいわゆる失血状態にならざるを得ず、その出血を最小限にするための残された選択肢として提案されたのが、胃から小腸へのバイパス手術でした。

そして、その手術を終えたあと、がんの成長を抑えることで大出血のリスクを小さくできる可能性があるとして提案されたのが、分子標的薬を使うことだったのです。

進行する病状に対応するため、気持ちの変化が必要なことも

支えがあるから歩き続けられる
(c) Can Stock Photo

バイパス手術で下血は落ち着き、吐血の恐怖も小さくなって、分子標的薬は直径4cm近かった病巣を素人の目には半減したと見えるほどに縮小してくれたのですが、最終的には、次に大きな出血や吐血が起こったときには状況はかなり厳しくなるだろうと言われていた、その「次」の吐血に見舞われ、それまでの積極的な治療、処方をやめ、終末の緩和ケアへと方針を変更したのでした。

バイパス手術にしても、分子標的薬を使うことにしても、母の身体と病状を思えば母本人が言っていた「治る見込みのない治療」「延命のための処置」として拒否していても不思議はなかったはずですが、母はそのいずれもを受けることを選びました。それは、ふたつの意味で救いになったのではないかと思います。

  • その1つは、付き添い看病する家族にとっての救い
    付き添い看病する家族(子ども)(私の兄妹)にとって、何の治療をすることもなくただ死を待つという選択を心情として受け入れられることがむずかしいという感情があったこと。
  • そしてもう1つは、患者本人にとっての救い
    患者本人にとっても急激な病状の悪化を受け入れる猶予が必要だったろうということ。

そのふたつに家族も本人も覚悟に近い感覚を持って対面できるようになるための時間を与えてもらうことができたと思うのです。

バイパス手術のあと主治医に尋ねた余命は “このまま何もしなければ” 3ヶ月というものでしたが、分子標的薬の投与をはじめてから緩和ケアへの切り替えまで、過ごすことができた時間は4.5ヶ月、緩和ケアを受けながら過ごすことができた時間は1.5ヶ月でした。

インフォームド・コンセントの実践

インフォームド・コンセントのあるべき姿 - 治療は自分で納得して選ぶのだということを承知していたとしても、どうすればよいか・どうしたいかをはっきり決断することができないということもあり得ます。そこには色々な事情や感情が関わっていることでしょう。

自宅への思いがあっても、家族にかかる負担を考えて病院での最後を選ぶ人が多い - 介護や終末医療をめぐってそんなことが言われるようになっていますが、病気治療のインフォームド・コンセントの実践においても、治療に対する自分の信条付き添い看病する家族の思いの間で自分の思いを二の次にするということがあり得るのです。

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また、治療に対する信条 - インフォームド・コンセントに対する意志も、最後の瞬間まで揺れ動くものだということを忘れてはいけないのです。こうしたいと思っていたはずなのに、今はまだその覚悟ができていない・・・そんな心情があり得るのです。

母が胃のバイパス手術を決ようとした時、自分の病状を知り理解するために余命も確認しておきたいと言った時、分子標的薬を受けるという決断をした時 - そのどの瞬間も病気を抱えた身体と考え、判断し、決断しようとする精神のバランスを取ることは患者にとって簡単ではないはずです。そしてそれに近い心情は患者本人だけでなく、付き添う家族の側にも同じようにある。

インフォームド・コンセントはそうした病状の進行の中で実行し、実現するものだという覚悟が必要なのです。

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