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10代、20代の若い人たちは - 私自身もかつてそうだったように - 優しい思いやりと手助けの気持ちを持っていても、どんなふうに接していいのか分からない… そんなこともありますね。

その戸惑う気持ちの中には、「できないことは助けたい」 と感じるのといっしょに、「できないんだねと思っていることを感じさせていいのだろうか」 という優しすぎる思いも混じっていることがあります。

「何でも手伝うから言ってね」 と精一杯の思いを伝えても、「ありがとう。大丈夫だよ」 と言われればそれ以上踏み込むことをためらってしまうのが普通です。

気持ちをちゃんとつなぎ合って、体も安心してやりたいことができる - お互いに。そんな関係をうまく持ち続けるにはどうすればいいでしょう?

 

いつもどおり - それが何より

たとえば、「何でも手伝うから言ってね」 と声をかけることができる家族で、「ありがとう。大丈夫だよ」 と応えることができる親だとすれば、それ以上になろうとか、ならなくてはいけないと力まないことが大切だろうと思います。

気を遣われている… と感じさせたくはないのが普通の心情かも知れませんが、「何でも手伝うから言ってね」 と声をかけた後は、「ありがとう。大丈夫だよ」 と言われればそれ以上は踏み込まずに、「ああしてほしい」と言ってくれればやってあげればいい - その自然さが一番大切なこと、そんなふうに信じています。

高齢の親は、気をつけてあげなくちゃ… と思われているのを嫌がるもの - そのくらいに思っておいて、「ほおっておいて」と言われたとしても、「分かったよ」と一人にしてあげればいい。

そんなふうに、互いにとって自然でいることを探そうと思うです。

 

自分が40代、50代になり、親が70代にさしかかると、
誰でも必ず経験する親の看取り。

日本人の約7割以上が70代で病気を発症し、
平均で約10年もの長い介護生活を送るといわれています。

また、生涯の医療費の約8割を、
亡くなる前の約2年間で使うというデータもあります。

出展:「大人のおしゃれ手帖特別編集 親の看取り (e-MOOK)

この短い一節を読むと、子どもに迷惑をかけたくないと言っていた母、あるいは言っている義母の思いが分かるような気がします。

“およそ10年” というのは確かに短い時間ではありません。
ただ実際にそれほど長くかかるかどうかは分からなくても、義母のように下肢に痛みや障害を持っていたとすれば、病院への通院1回でさえ、自分ひとりではままならないことに何度もぶつかることになるだろうと思います。

電車やバスを利用しようとすれば、手助けなしに乗り降りすることはできないだろうし、その動きが遅くて周りの人に苛立ちを感じさせるだろうと気後れすることになる。

高齢者の通院を補助してくれるタクシーのサービスを利用できる町に住んでいた母でさえ、そのタクシーへの乗り降りがスムーズにできないことを気にして、自分からは迎えを頼むことができなかったということもありました。

自分で、自分ひとりでできなくなる - その戸惑いは私たち子どもが思う以上に高齢の親の気持ちにとっては重荷なんだろうな、そんな形の思いやりを持ちたいと思うのです。

子どもにしてみれば、ちょっと淋しく感じるほど、高齢の親は頑張ろうとします - もう少し頼ってくれてもいいんじゃないのか! と思うこともあると思います。

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でも、自分の子どものことをどんなふうに考えていたかを思い出してみようと思います。
歩きはじめて間もない、まだ幼いわが子が小さな新しいくつを履かせてもらった足であるこうとしているとき、その手を取って、歩く速度・歩幅を合わせて応援していたことを覚えていますから。

 

それまでは自分からは「ああしてほしい」と言ったことがない親から、たとえば、「買い物を手伝ってくれないか」と言われたとしたら - 想像してみようと思います。

そんなところに親の「老い」を感じてしまうでしょう。母の時にはそうでした。だから、”いつもとおなじように“、そんな自分でいなければと思うのです。