終活 - 実家売却の動機はどこにあったのか

愛着と信条 - 天秤にはかけられないふたつのもの

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自分の年齢、体力、家族構成、そして経済的な状況といった幾つかの条件の中で検討していたつもりだけれど、少なからず愛着の感じていたはずの実家を売却しようと思い立ち、決めた動機はどこにあったのか - 自問自答のように自分の考えを確認しようとする感覚がまだ残っています。

手放すことを意識しながら見直そうとした実家の価値

箪笥、その中にしまわれた紋付や留袖。衣類や下着、パジャマ、靴下の数々。私が生まれた頃から両親とともに過ごしていたはずの茶箪笥。小学校、中学校、高校と過ごした日を思い出させるアルバムや教科書、ノート。実家を建て、自分の財産とするために奔走していた時のものだろうと思われる設計図、見積もり、申請書、そして登記簿。鍋、茶碗、箸。・・・どうしてこんなものをとってあったのだろうと思うものも数知れず - 整理のために詰めた段ボールの数はゆうに100を超えていました。

何らか、売却を思いとどまるようなものが出てきたりすることはないだろうかと思いながら一部屋、一部屋と片づけを進める中で、家の中にあったものひとつひとつすべてを手にして確認しながら過ごした時間があったわけですが、それでも、「やはりまだ急がずに、もう少しこのままにしておこうか」とは思わなかったのはなぜだろうと感じるのです。

やはりこれで良かったのだという思いに戻ってくるのですから、後悔という類のものではないように思うのですが、頭で分かっていても身体が許していないという類のものでしょうか?

築年数の多い少ないはともかくも、壁紙を総張り替えしてきれいにした部屋もあれば、寒い冬の日でも、楽しく安心して風呂を楽しめるようにと浴室や脱衣所、洗面所は床を張り替えたりもしていたのですが、もしかすると私にとって、愛着と断捨離の価値観は別のところにあるのかも知れません。

動機を発動させるきっかけがあっただろうか

親子の間で価値観を共有するためのヒント?

両親は私が20代の後半、実家のほかにもう一軒、土地付きの家を買ったから結婚してそこに住まないかと言いだしたことがありました。私にとってはその話しが、両親と自分の価値観の違いを確認する最初のきっかけとなったように思います。

私は、両親と実家に同居し、仕事を持った立場になっていました。
そして、両親の老後をどう考えればよいか、一緒に住むことはできるのか、住むには(その当時の)仕事をどう進めてゆけばよいか、結婚して実家に同居する? ことが自分の望んでいる生活なのだろうか・・・ そんな私なりの思いを確認しようとしていた時期で、そうしたひとつひとつの事柄を、両親と共有できる価値観にできないだろうかと相談している(つもり)だったのです。

そんなところにその話しですから、ショックというか拍子抜けな感じを覚えながら、やはり自分の世界、自分の生活は自分の手で作る物なのだろう、両親と共有するものではないのだろうと漠然と感じた記憶があります。

その後も、両親の老後を意識しながら、どんなことができるだろう、どんなことをしたいと思うかなど、ずいぶん話しをしようとしたという記憶があります。

さらにその後、私の価値観 - 家族観や人生観、親子感など - を決める第二のきっかけとなったのは、両親の信仰と家族観だったでしょう。

両親のもとに生まれ、それまで一緒に暮らしていたのですから、両親が親子、兄妹、親族にどんなもの求める人たちだったかはよく分かっていたつもりです。特に両親は、「家族たるもの」とか、「家長たるもの」とか、「長男であれば」、「仕事についている以上」などなど、ことあるごとに自分たちの価値観を口にする人たちだったのです。

その両親の家族観がよく分かるほどに、自分の家族観が鮮明になってくる。反発しているという見方ではなく、私たちの感覚、価値観を理解してほしいと思っていました。

ただ、その「理解」というものの意味がまた、両親と私とでは天地のほどに違っていたのです。
同じように考え、行動するというのが両親の言っていた理解。
互いの立ち位置を変えず、互いの思い、考えを知ろうとするのが私の言う理解 - その違いを寄り添わせることはできそうにないと分かったときが第二のきっかけだったろうと思うのです。

そうした違いとまったく同じだと私は思っているのですが、先祖を敬うとか、親への孝をどう感じ、行動するかということにも、大きな大きな隔たりがありました。隔たりはあってあたりまえ - 互いにその違いを尊重し合い、認め合い、補い合えるはず・・・と思っていたイメージを実現できなかった原因もその隔たりだったのです。

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両親は信仰を持っている人たちでしたが、両親と私の間にその宗教が教える教義が横たわっている - そういう感じがしてなりませんでした。
人として、親子としてのつながりを求めたくてもそれを許さない隔たりを、私は両親に感じていたのです。

もしかすると、実家を売却しようという私の動機は、両親の価値観のベースになっていた宗教観を見ていたから生まれてきたのかも知れない - そんな気もします。そして多分間違いなく両親も、私との考え方の違いを強く感じていただろうと思うのです。

さて、私は、私たちの世代は、自分の子どもたちの価値観に寄り添うことができるでしょうか?

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