がんを病んだ母に付き添い、特にその終末期を過ごした経験を振り返っておくことが必要ではないか、そんな気がしているのですが、自分たちの健康管理の延長線上に、介護のようなものをおいておくことはできるでしょうか?

備えられるものなのか、何を備えることができるのか - そんなことを整理しておけないものかと考えています。

 

介護の必要性&タイミング

それはちょうど、臓器移植意思表示カードのことを考えるのに似ている気がします。

もしもの時 - それも自分の意思を自分で伝えることができなくなってしまったとしても、自分の体の一部を活かす・活かさないの意思を受け取ってもらえるようにしておく…
その感覚に似て、がんという病気がどんなふうに進んだのか、どんな検査を受け、その結果何があったのか、本人は・家族はどんな対応をしたのか - それを確認しておくことで、意思表示カードのような安心としてしまっておけないものか、そんな思いです。

それと言うのも…

がんという病気の速度を経験してしまったからだろうと思います。その中で、介護は申請し認定され、認定書を手にしてはじめてサービスとして受けることができるもの - という現実を知ったからでもあります。

もちろん、病状はひとつではありませんから、ひとつの経験だけで対応できるものと思っているわけではありません。実際には、病状が進んでいる恐れがあるということをケアマネージャーが主治医と情報を交換し、先を見越して介護度を見直す申請を早め早めにしてくれ、受けられるサービスの幅を広げてくれる(利用できる介護保険料の増額)などプロの支援がありますから、私たち素人はこれと言って何かをしなくてはいけないということはないようにも見えます。

ところが、そうしたケアマネージャーの支援に頼っていいのだということを知っているといないとでは、終末期の過ごし方 - 特に、家族の心と体の負担はずいぶんと違ったものになるのです。そして、介護が必要になったときに、どんな支援を受けられるのか、患者本人にどんな安心を持たせることができるか、それは一重に家族の心と体の健康にかかっています。

介護が必要になったときにはじめて介護に向き合い、その内容を理解をしながら申請し利用する。そのタイミングではちょっと残念だと思うのです。ちょっと残念だと伝えたいと思うほど、過ごしてきた時間は重くて厳しい時間だったと思うのです。心と体の力をすべて注ぎ込んで対応する、そんな時間の間も病状は待ってはくれないからです。

 

だから、意思表示カードを前にパートナーや家族と生命に対する思いを共有しておきたい - そう思うのです。

スポンサードリンク

 

介護に必要なのは自然体

思えば今の私たちは、そんな、備えておくといいよと言うことがあまりに多い気もします。もちろん、強制されるものではないし、先の心配もほどほどにとは思うのですか、できることなら… と知っておきたい、備えておけないだろうかと感じることがたくさんあります。

常識と呼べばいいのでしょうか? 基礎知識と呼べばいいのでしょうか?
もしかすると情報過多の部類に入るという見方もあるのかも知れませんが、普段の意識がその時を決めてしまうということがあるようにも思うのです。

後悔しないように… という感覚はないのです。その時に対面したとなれば、できるすべてのことを考え、対応しようとするに違いないのですから。
その全身全霊 - 特に