親が病に倒れたとき - “あるがまま” を忘れずにいるために

病院に行きたがらないのが親の常!? だとすると

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自分の両親だけでなく、病院に行きたがらないのは義母も同じ。
時間が経って辛くてだめだからと病院に行って診てもらうと、医師も「いったいどうしてすぐに来てくれなかったんです?」とあきれるやら理解に苦しむありさま。

父はリュウマチと肺炎で、母はがんで、義母はやけどや転倒、そして腎不全で病院に行かなかったり行きたがらなかったり、検査や手術を拒否したり、人工透析を受けないなど

以前、病院に行きたがらないにはそれなりの理由があるのだから、とにかくまず、その思いを聞いてあげよう! と自分の経験を記事にしたのですが、病院に行って診察を受ける… そのことを母本人はどう思っていたのだろうという思いが、やはり完全にはなくならずにいます。

後悔しているわけではありません。

たとえ同意書に署名を入れているとしても、手術室に向かうその瞬間だとしても、迷いやためらいを感じたとしたら、そこから実家に帰ったっていい。自分で納得した検査・治療を受けてもらいたいのだからと、入院のたび手術のたび、母の思いを確かめながら歩んだつもりでいたのですが… 「やっぱりやめたい!」という一言を聞きたかったわけではないものの、母は逆に、文句を言わずにいっしょに病院に通っていただけに「本心は別のところにあったりしなかった??」と思ってしまうのです。

寄り添うということ、共に生きるということ

今、慢性腎不全の診断を受けながら、人工透析は受けないという決断をした義母の想いを叶えてやらなくてはと思えているのは、母のがん闘病に付き添った経験があったからなんだろうなと思うようになっています。

人工透析は受けないと決断をしながら、一日一日を大切に大切に思いながら過ごしている義母。食べる楽しみがなくなってしまって生きているかいがないねと苦笑いしながら、それでも、あまり急激に具合が悪くなっては嫌だからと恐る恐るのように自分の健康と向き合っているところもあるのです。

余命宣告のとおりに生きられなくても不思議はないのだろう… と “より短命” な余生を思って気が重くなってしまうとこぼしていることもあるくらい - そんな義母の言葉をそのままに聞いていられるのも、やはり、母との経験があればこそなんだろうなと思うのです。

ただ、人工透析を拒否しながらも生きるつづけることへの愛着のようなものをいっぺんに捨ててしまえるわけもない義母の様子に触れていると、母はどんな思いでがんセンターと実家を往復していただろうと思わないではいられません。

本心がどこにあるとしても

「自分の体と命は自分の思うようにさせてほしい」 - そんな意味のことを言って病院に行かないと言っていた母は、「病院や医師なしで暮らすことができなくなるのは嫌だ」と検査も受けようとしませんでした。

ただ、自分に置き換えて考えてみると、たとえば健康診断で「要精密検査」の診断を受けても、それ以上悪い結果が出ることを想定して検査を受けてはいないかも知れません。「まさか、自分は大丈夫だろう」と思っているわけでもないのですが、「もしかすると…」という悪い方の予想をしたり、そんな診断を受けたらどうしようと考えたりしながら検査を受けるということがないように思うのです。

楽天的なのか?! 鈍感なのか??^^; - 性格なんだろうなと言う以外ありませんね。

若い私たちは、検査が必要だと言われるなら受ければいいじゃないか… とごく単純に、何の迷いもなく考えているように思います。けれど、「もしかすると…」という恐怖心を持っていれば、足が病院とは反対に向いてしまうとしても不思議はないのかも知れないのです。体の組織を取る生体検査なるものを受けたときの不安・怖れのような感覚を思い出せば分かるはずなのです。

そしてそんなときの自分のことを思い起こしてみると、もしかすると母はもう、生きるということを見切っていたかもしれない・こだわりがなかったかも知れないとも思います。

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それでも私たちは子どもは、「命がこのまま終わりになるのならそれでいい。だからほっておいてほしい」という母に対して、「”自分ひとりの体ではない” という言葉をぼくらはあなた方両親から教わった。今こそ、その言葉の意味を示すときではないのか!」と言って食い下がったのでした。

余生がまだたっぷり? ある若い子どもの私たちには、がんの手術のあとがどうなるかということより、手術の向こう側には何か期待が持てるんじゃないのか… みたいな楽観的な・無意識なところがあったのでしょうか?

病院に行く・検査を受ける - それは必ず、ソノサキがあるのです。そのことを忘れずに義母に付き添っていかなければと思うのです。

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