終活 - 相続についての知識と実際

予感のときこそ相続のはじまり

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私の場合、相続を最初に意識したのは、私が30歳になって、社会人としてようやく一人前というレベルに近づけたかなと思い始めた頃。

父の構えた実家をいずれは自分が継いでいかなくてはならないだろう、そのために、自分はどんなことをしておかなければならないのだろうと考えをめぐらしはじめたその頃が、今思えば相続そのものを理解し、両親との話しをしたり、準備すべきことを確認したりということをはじめる時期だったのだろうなと感じます。

親から子へ - 相続を考えることは、親の資産を子どもの将来につなぐこと。そのことを予感しているのに、その作業をすることなく過ごしてしまった時期でもあったのです。
今はそう感じます。

相続_それは親子の思いを確かめ合う作業
(c) Can Stock Photo

相続人・被相続人(親・子)をつなぐもの

相続はまず、意思をつなぐところから

思い切って言うならば、親が持っている社会的な権限と責任を - 相続人が子どもであれば - 子どもに受け渡すこと。私と父の場合なら、実家の土地と建物などを中心とした生活のために父が持っていた資産を受け渡すことでした。

実家の土地と建物はもちろん、父の資産の何が相続の対象なのか、誰が法定相続人なのか。相続税はどのように計算されるのか。相続税の控除額はどう決まっているのか… そんな相続の具体的で基本的なことは、学ぶことも確認することもそうむずかしいことではありません。ましてやiPhone/スマートフォンを片手に過ごす今の時代、分からないままのことなんて何ひとつないはずです。

けれどWindowsもまだなかった当時、相続を学ぼうとするなら専門書を図書館で借りるか、本屋で買うかという時代。父はたぶん、自分の都合を私に押し付けることになるという遠慮から話しの切り出し方が分からなかっただろうし、私は私で、相続は話し合いでさえ父の意思が示されてはじめて可能になるもの、ましてや、父の意思が私の将来を決めることはあり得ない… そんな自己中心的で他人事を見るような視線で相続というものを捉えていたように思うのです。

家族であるというだけで、相続の責任がある

当時の自分が抱いていた相続に関する認識のレベルの低さは、ただただ苦笑いする以外にないという感じがします。

そもそも、親(被相続人)がなくなれば、その財産は自動的に配偶者・子(相続人)が受け継ぐことになる。相続するとかしないとかいう意思の問題ではなく、被相続人がなくなったところから相続人への相続ははじまる - その基本を親子(被相続人と相続人)の間で共有することが最初の1歩なのです。

相続税を求められなくても

私の場合、私を入れて兄妹3人。両親が亡くなったあと、実家の土地と建物をはじめとする両親の財産に関する相続税は、基礎控除額を計算に入れれば支払いを求められるようなものではありませんでした。両親が実家として所有していた土地・建物の評価額はそれほどに低く、納めてきた固定資産税もわずかなものだったのです。

ただ、土地全体を2つに分割し、父と母それぞれが別々に所有者になっていたこと、そしてその土地は融資を受けるため担保として抵当権が設定されていたこと、さらにその融資の返済が終わっていたことなど、相続を完結するために必要となる別の手続きがいくつも重なっていました。

つまり、金銭的に負担を求められることがないとしても、財産の権利を証明することは求められたのです。

経験から学んだことは
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30代のはじめ、私に向けられていた周囲の目はたぶん今でもあまり変わっていないことでしょう。
男であれば身を固め、所帯を持ってはじめて一人前。ならば、将来の伴侶をどう選ぶか、住まいはどうするか… と本人の私よりも周囲が熱心だという状況が続いていました。そしてその傾向は私の両親でも同じような傾向がありました。

ところが、両親にしても私自身にしても、自分たちの将来 - 終活の第1段階 - を正しく意識して取り組むというタイミングを逃していた、今はそんな気がするのです。

後悔というよりは、自分が被相続人になる番になっている、その意識をしっかりもたなくてはと思うのです。

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