終活 - 家族にできることを思う

家族にできること - 残っていた「患者様控」で確かめたこと

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ゴールデンウイークの連休の中である荷物の片づけをしようとしています。その荷物は実家から運び出してきた両親の遺品 - そのごく一部ですが、写真や手紙といった品が入っています。

その荷物の中に、患者様控という識別のある「入院診療計画書」というタイトルが付けられたA4 1枚ものの書類が残っていました。何度も検査や手術に通った母のがん闘病 - がんセンターになっている大学病院に最後の入院をしたときのものです。

そこに書かれていた項目の中、どんな症状で・何をするために入院したのかが分かる記述に…

  • 病名(他に考え得る病名):
    消化管出血
  • 症状:
    下血
  • 治療計画(点滴、内服等):
    輸血を行い、貧血を補正します。また、必要に応じて出血源検索のために検査を予定します。
  • 処置・手術内容及び日程:
    未定

そして、脚注にこんな記載がありました。

注1) 病名等は現時点で考えらえるものであり、今後検査等を進めていくにしたがって変わりえるものである。
注2) 入院期間については、現時点で予想されるものである。

消化管からの出血が原因で下血という症状が起こっていると思われる。その出血によって輸血を必要とするレベルの貧血が起こっているため、輸血によって貧血を軽減し、経緯を診ながら検査をして出血している患部の特定をする。(この書類を作成した時点では)その後の処置や手術など、何が必要になるかは分からない…
そんな意味合いのことが書かれています。

と、ここまでは、主治医から説明を受けた内容とかわるところはありません。

ところがこれらの項目をたどっていくと、

  • 在宅復帰支援計画:
    必要に応じて在宅復帰支援計画をたて、関係機関との連携を図る

という記載があります。
読んだ記憶がありますが、当時はこの具体的な内容を意識することもなく、ましてや入院の前後にこの「計画」のことを主治医と話し合うこともありませんでした。意識のほとんどが病名・病状・治療(計画)に集中してしまっていたような気もします。

意識が集中してしまっていた… と言っても、

  • 輸血は急を要する状態だった、
  • 輸血も命に直結するかもしれない危険を考慮しなくてはいけない医療だということ
    そして
  • 検査を待たなければ、その後の具体的な処置が決まらない

ということで「まだ具体的なことはわからない」という状態での入院でしたから、「在宅復帰支援計画」もさらにその先の話し… という意識があったのかも知れません。

その一方で、母の闘病のこの時期に先立つこと2年ほど前、大腿骨骨折を治療してもらうために父を入院させた経験から、「治療計画」というのは

  • どんな内容の治療を
  • どれくらいの期間をかけて行うのか

ということに関連する項目だという意識があったのです。
入院するということは、何か治療の目的があるからすることで、その目的が達成されれば退院をする(しなくてはならない)ということも..。

入院するという意識があって、入院は退院が前提なのだと思っていたのに退院のための計画が必要になるかも知れないという意識がなかった… なんだか自分の感覚がどれくらい煮詰まっていたかを見せられているような気がするのです。

 

手を尽くしたと思えることから次の一歩がはじまるはず

ただ、自分のやってきたことも、兄妹のやってきたこと、病院やホスピスがやってくれたこと - どれひとつをとっても今の私には責める場所がないと感じています。

医療現場はテレビや映画の世界とは違い、かなり複雑な状況です。そして状況は次々と変化します。
現場の中心にいる医師がぶれると、すべてがぶれます。治療の目的は「寿命を全うするお手伝い」であることを医師が忘れてはならないのです。

出典:矢作 直樹 氏 著・「人生は、約束

がんセンターでの主治医、ホスピスでの主治医、それぞれが「治療の目的」を持っている - それは母の闘病に付き添う時間が長くなるほど、はっきりと感じるようになっていることでした。

それぞれに「寿命を全うするお手伝い」と思って治療、あるいは介護してくれていたかどうかは分かりません。けれど、それぞれに違う視点・視角から母と母の病状を診てくれていると感じていました。

そして、それぞれの主治医が提案してくれる治療を、主治医との話しを通して理解し、母本人と話して咀嚼しながら選び、見守っていた - そう思うのです。

矢作さんの一節はこんな言葉につながります。

手を尽くすことは重要、同時に「受け入れる」ことも重要。
受け入れるとは、明らかに見極めるということ。
これも大切な約束です。

この言葉は、医師の立場で「手を尽くす、受け入れる」ということを言われていると感じます。もしそうだとしたら、医師が「手を尽くす、受け入れる」という医療をほどこそうとしてくれているとすれば、患者の家族ができることは「心を尽くす、受け入れる」ということではなかったかと思います。

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考えてみるとまだ4年しか経っていないというのが不思議な感じがします。

母の下半身に浮腫みが現れたということ、そしてその経過から、母に残された時間がそう長くはないことが予測される - 母を診てもらっていたホスピスからそんな電話をもらったのは、ゴールデンウイーク明けの5月7日のことでした。

その時、私の頭は「在宅復帰支援計画」という言葉を忘れていた - その言葉をなくしていた、そのことを思い出したのです。

 

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