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「あなたはがんです」と伝えるのは思いやりか

出典:矢作直樹氏 著・「おかげさまで生きる

と題された章でこんなことが語られています。

私たちが生きているこの現実の世界は単純に割り切れるものではなく、意外と複雑です。
例えば、「あなたはがんです」と告げることを思いやりだと考えるか、それともがんであることを伏せて「大丈夫ですよ」とうそをつくのが思いやりと考えるのか。誰にとってもがん告知という場は複雑な状況であると同時に、私たち医師も「思いやりと正直」の使い分けに気を遣います。

私自身は告知することで、その方の人生の残り時間を有意義に過ごして欲しいと思っていますが、告げられた本人や家族の動揺にも配慮が要ります。知りたくなかった、そんなことを知らないまま死にたいと願う人も、世の中にはたくさんいるでしょう。実際、全国の医療現場では、毎日のように医師と患者さんのすれ違いが起きています。

私たちはインフォームドコンセントを頼りに医師の助けを求めているつもりですが、この矢作さんの言葉は、それ以前のことを語っています。

私たちは、対面している医師が、私たちの求めるインフォームドコンセントを

  • どんなふうに大切なものだと考えているか
  • どんなふうに実践しよう - 私たち患者にとって分かるように実現しよう・できると考えているか

分かっているでしょうか?

そもそも、私たちは

  • どんなふうに検査・診察し
  • どんなふうに判断し
  • 何を(自分に)伝えて欲しい

と医師に伝えて診察をお願いしているでしょうか?

 

 

そういう確認を取ってからの診察? - それはあまり現実的ではありませんね。
救急搬送された経験から考えれば、危機的な状況から救ってもらうことの方が優先です。診察 → 判断 → 処置(治療・投薬)というタイミングに報告 → 判断 → 相談 → 提案… のような流れが割りこめるわけもありません。

普段、定期検査で経過観察しながら必要な薬を処方してもらっている経験から考えると、事前に意思を確認しておく・申告しておく手続きがあってもいいのかも知れないと感じますが、現実にはそういう手続きはありません。
なぜなのでしょう?

それは(医師との話しの中から導き出した、私の推測に過ぎませんが)、直すことが前提になっているからだと思います*。

  • どんな症状が確認されたときには伝えてほしい
  • それ以外は聞かせないでほしい

と申告しておけばOK! というほど、医療に必要な判断は簡単なものではないし、「聞かせないでほしい」という希望をかなえるためにうそをつく(本当のことを伝えない)ための負担を医師に求めることはできないからです。

 

父の大腿骨骨折のときのことを思い出します。

骨折した頸部を含む大腿骨を合金製の人工の物に入れ替える手術をし、術後はその人工骨の使い方 - 立ち居振る舞いや歩き方に慣れるためのリハビリを行う。その一定の目的が果たされれば退院を求められる。

ひとつながりになった入院計画とも言えるそのプランが分かったのは、リハビリをはじめて1週間ほどが経ったときだったのです。
私たち家族も迂闊といえばあまりに迂闊だったと言われても仕方がありません。

このケースでは人工骨の制作と到着を待つまで数日の日数があったのですから、その数日を使って病院側が持っている退院までの入院計画を聞かせてもらうことはできたのです。

ただ私たち家族側の意識は実際には、

  1. 手術をしてもらえば苦痛は除ける
  2. 人工骨への慣れや注意は必要でも、それを留意しながら生活に戻れる
  3. そのためにもリハビリを頑張ればよい

という、もらった説明どおりでしかなかったのです。

  • 本人はリハビリを頑張らなくてはいけない
  • 本人は病院が計画しているスケジュールについていけるだろうか
  • リハビリの日程は何日くらいあるのだろうか

患者の側にはそうした、インフォームドコンセントに参加する意識がなくてはいけなかったのです。

 

がんの告知の場合は?

体や健康状態に関する診察をしてもらっているということから考えれば、いつどんな話しが出てきてもおかしくない - そんな責任感というか、認識は必要ではないのかなと感じます。

現に母の場合は、「うちには検査に必要な機材がないから、できれば大学病院で検査してもらった方がいいと思うんだ。念のために」というかかりつけの総合診療科の先生の言葉に押されて受けた大学病院でのレントゲン検査の結果、がんの告知を受けることになったのですから。

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その大学病院はがんセンターとして知られた施設だということは母本人も承知していたのですから、内心おだやかではなかったのじゃないかと思うのですが、検査 → 診断 → 告知 が自動的に行われるところだとは思っていなかっただろうと思うのです。少なくとも、冒頭の矢作さんの言葉にあるような、医師の側の思いや信条、判断を感じる間さえなかったのは確かですから。

“直すために切ること、それが自分たちの仕事なんだ” と私の相談に応えてくれた医師がいたということは別の記事で書いたことですが、その言葉などは矢作さんの言葉とは正反対の方向から、インフォームドコンセントの限界・注意点を私に教えてくれるものでした。

そんな経験を通して私が感じているのは、
医師にインフォームドコンセントを求める私たち自身は、”インフォームドコンセントは医師と自分たちとで実現するものだという意識を持たなければいけない” - すべてをただ任せることが受診ではないということを知っておかなくてはいけない
をいうことです。