終活 - 定年を迎えた自分を想像できるだろうか

良い人生とは探したり、求めたりするものではないかも知れない

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若い仲間に仕事を任せられるように… というようなことを考えるようになっているということは、最初に感じるのは余生の質のようなもの。

たとえば85歳まで寿命があるとすれば、55歳で定年として余生が30年。
今は人生100年⁇ を前提した生命保険なんていう製品が売り出されるようになっているようですが、65歳定年で寿命85歳として20年の余生。かなり強引な単純計算かも知れませんが、定年が10年延びることで、当然ながらその後の余生は10年短くなる。
この10年の差は私たちの暮らしにどんな意味を持つだろうと考えたりするのです。

人生の目標とは言うけれど、人生は見通せるものではない?

20代のはじめのころには、40歳になった自分を想像することができないや! と言ったりしていたことを覚えているのですが、40歳というのは社会人としてはまだまだ現役真っただ中! 求められることばかりが増え続け、その増える仕事に真正面から取り組んでいる時期ですね。

だから、20代のはじめのころに想像もできなかったなんていうことも忘れているし、その40歳というのはこういう年齢なんだなと確認することもなく通り過ぎてきた… そんな気がします。

それにしても、私の父は、55歳定年なんて言われた制度の時代を生きた人でした。
そして驚くことに、15歳になるときには正社員として働いていたのです。ですから、定年で退職する直前には、勤続40年を表彰されて記念品まで贈ってもらったのです。

終身雇用、年功序列という言葉が社会の基礎にあって、勤続40年というのが敬意をもって評価された時代の仕事観というのはどんなものだったでしょう?

残念なことに、公務員だった父は終身雇用、年功序列、そしてその制度の中で運用される責任と権限の板挟みの中で仕事の意味というものを信じきれなくなり、勤続37、38年ころから「早く仕事を離れたい」、「定年を待つのが嫌になった」とこぼすようになっていたようです(後年、母から聞かされたことでしたが)。

そんなことがあったから尚更、55歳で退職した父は、その後の人生をどんなふうに考えていただろうと思うのです。

時代に求められた人生、自分で描こうとする人生

終身雇用、年功序列という言葉が生きていた時代には、「家長」という言葉も生きていて、男は外で稼いで家族を養い、女は子どもを育てながら家を守る… という人生観・家族観が生きていました。
一家を養う責任を退職後の父はどうやって果たそうと考えていたでしょう?

今の私の感覚で言うとすれば、

  • 日々の糧をどうするか
    という問題と
  • 家族の将来をどうするか(実家をどうやって維持していくか)

という短期・中長期の2つの面で悩みを抱えていたかも知れないなと思うのです。
少なくとも、

85歳まで寿命があるとすれば、55歳で定年として余生が30年。

その思いや時間的な感覚を、父を外から見る者として経験してきた私は、その30年なりそれ以上になる? と言われている時間の計算や計画ができなくてはいけないのだろうなと感じます。

最晩年、父はリウマチを病んで障害者手帳を持つ身になっていましたが、その後、介護申請をする頃には自分の身の回りのことを自分ひとりではできないことがあるようになっていました。
もしその時間をマイナスし、ちょっと厳しく計算してみれば、自分で過ごせた時間は30年の余生のうちの25年ほど。

25年として思い返してみれば、生まれた子どもが幼稚園・小学校・中学校・高校、そして大学と過ごした後、そのまま社会に出てようやく自分の場所を見つけられるかどうかという時間です。

より充実して生きていくには、そうした時間の意識を感じずにいることが大切なような気がします。だから、この時間感覚は、確認したらすぐに忘れてしまうのが正しい生き方なのかも知れません。人生の計画とか目標があれば活き活きと充実して生きることができると思いがちですが、重しがあっては活き活きと目を輝かせていることができなくなる…

人生の計画とか目標というのはまともに追いかけようとすればとても重くて、その重さは簡単にはね返すことができなくなる。だから、計画とか目標とかではなく、「こうだったらいいなぁ」「こうなりたいな」という夢とか憧れであればと思うのです。

父の世代は可哀想なことに、人生を(自分も含めて)周囲に求められる時代を生きていたのだなと思います。ただ「仕事から解放されたい」という思いで定年を捉えていたとすると、ちょっと切ない気がします。

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それでも私たちは忘れてはいけないだろうなと思います - だからと言って、父の世代が不幸だったということではないということを。

父が私によく言っていたのは「目標」であり、「計画」という言葉でした。父に感じる切なさを繰り返さないために、私に必要なのはきっと、「夢」であり、「憧れ」、そして追いかけるエネルギーなんだろうと思うのです。

「人生100年」と言われる時代は、どうも自己責任の時代だと言われているような気がしてなりません。もしそうなら、まずそのエネルギー - 情熱のようなもの - がなければいけない! と思うのです。

 

 

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