終活 - 高齢の親との暮らし・自分たちの暮らし

高齢になった親をそばに呼ぶとき

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連れ合いと死別したあと、かれこれ20年近い時間を一人で暮らしてきた片親。その人を数百km離れた自分(子ども)たちの土地に呼び、介護施設にあずける…

つい最近、そんな話しに触れたとき、私の脳裏に最初に浮かんだのは
入院・手術が避けられない状況で入院してせん妄に見舞われた父の姿でした。

大腿骨骨折で動かなくなった足を直してもらう、だから入院し手術してもらう - それは理解できていただろう思うのですが、どんなことが原因・きっかけだったのか、せん妄を起こし自分がなぜそこにいるのかが分からなくなっているように見える振る舞いをするようになった、そんな姿を思い出してしまったのです。

慣れ親しんだ住まいも土地も離れて子どもが暮らす街の施設に移ってくる -
もちろん親子の間でさまざまな話しがされ、思いを交換して決めたことだろうと思うのです。
私の中にあるネガティブな記憶が重なってしまうというのはあくまで私の受け止め方の問題で、とんだ失礼な話しだろうと思います。

けれど、施設に入所して新しい暮らしをはじめた片親が、体も心も健康に過ごしてくれるようにと祈らないではいられません。

 

今まさに進行している親との同居の問題

初版は平成19年、つまり2007年ですから、もう10年以上経っている著書にこんな一節が綴られていました。

・・・いまの世の中、子どもは老後の頼りになるだろうか?

高齢化をめぐる変化でいちじるしいものに、子どもとの同居率の低下がある。65歳以上の高齢者の子どもとの同居率は、1980年には約70%だったのが、どんどん減少して、2000年には50%弱。代わりに増えたのが、高齢者の夫婦だけの世帯と単身世帯だ。

出典:上野千鶴子 氏著・「おひとりさまの老後 (文春文庫)

 

私自身も両親とは離れて暮らし、この一節で語られている非同居率を上げる側の人間でした。
この著書は、私のような世代の人間の親子関係を “同居率” で語っているものなんだなと思って読んだ記憶があるのですが、私の世代にとっての親との同居というのは過去の問題ではなく、今日現在の問題なんだなと感じています。

両親の世代にとってあたり前だった結婚観…
男は家族を養うために外で仕事を。女は夫の留守中、家と家族を守る。- その価値観・役割りに対する感覚は、息子 - それが長男であればなおのこと - は嫁を取り、家を継ぎ、いずれは両親の面倒をみるもの… そんな家族観・人生観と切っても切れないものにあったと思います。

私の世代はその結婚観・家族観、人生観のかけらを親から受け継いでいる - つまり、夫婦としての両親を見、その両親と暮らしてきたのですから、それぞれの価値観を代弁できるほどに理解しています。

そしてそれでも、両親から離れて両親とは違う生活を営んできた - 言わば、ハイブリッドな世代なのです。

 

そのハイブリッド世代の私は、親子は同居すべきだとも別居すべきだとも言うつもりはありません。できることなら、それぞれの親子が互いの思いを伝え合い、その思いを受け止め合う時間が持てればいいがと思うだけです。

伝え合い、受け止め合った結果が同居か別居か、あるいは施設への入所か、どれかの結論にたどり着く - けれどどの結論もそれぞれ正解だろうし、迷いも含んでいるだろうし、もしかしたら後悔も残るのかもしれない… そうしたすべてを一つにして一つの可能性を - 結論として - 選ぶのだろうと思うからです。

くどいようですが -
私の両親の世代にとって答え - 正解 - はひとつだったと思います。それぞれの結論などというバリエーションが許されることはなかったのです。親はこうあるべき・こう扱われてしかるべき。子はこうあるべき… と。

親本人の考え。親族の考え。兄妹の考え。あるいはそれよりも、周囲の人たちがどう受け止めるだろうか、どうすれば周囲の人たちに受け入れてもらえるだろうかを考える。それを考えて答えを出し、自分の思いは二の次、三の次にする。そして自分の中にクリアにできない迷いや葛藤が残ったとすれば、自分で納得する方法をみつけなくてはならない…

私たちハイブリッド世代は、そんな自分で選ぶことができない枠に入れられて、こうしろ! と言われることに納得ができなかった。だから親を離れ、ハイブリッドになった - そう思うのです。

 

10年以上前の上野さんの一節につづく言葉をたどっていくと、上野さんは、親子は同居すべきだと言いたかったのか、別居していたのなら同居すべきではないと言いたかったのか判然としないことに気がつきます。どちらかを言っているように読めもするし、どちらも言っていないように読めるもするのです。

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直接的で辛辣に感じる言葉で語っているから、親子の葛藤の一面を意識して切り捨てているようにも感じます - が、
もしかすると、年老いていく親とか同居しようにも同居できない価値観、それ以上に同居は非現実的だと若い仲間に感じさせてしまう経済事情が複雑に絡み合っている - その中で私たちは、高齢化という現実に向き合っていると、実例だけを並べているのかも知れません。

 

私たちハイブリッド世代が親をどう守るかを考えなくてはならなくなったときに必要なのは、自分にとっての正解を持ち続けることができるか - そのことに尽きるような気がするのです。

to be continued …

 

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