余命宣告のあと、命をどう続けることができただろう

インフォームドコンセントは助けになるか? 重荷になるか?

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今からおよそ5年前の2017年10月、腎臓の機能が低下からこのまま何もしなければ… という余命宣告を受けた義母。

私にとっては二度目となる余命宣告。
義理とは言え、私たちは何か助けになることはできないものかと考えながら、余命の限界を超えて6か月がたっています。

余命宣告

”人工透析をしないままでいれば余命は1年から2年。
透析にはリスクもなくはない、けれど透析を行えば、余命は5年、あるいは10年に伸びる可能性もある。
透析自体は最初の1か月は週3日この病院に通ってもらわなくてはならないが、2か月目からは自宅近くで受けられるように切り換える。
透析をやるかやらないかを医者が強制することはない。家族でよく話し合って決めてほしい。”

つい先だって、義母がそんな診断を受けました。

そんな診断を受けて患者は何を感じるか…
家族はどう支えることができるだろう…
私は、余命宣告を聞かされるのが初めてではないだけに、色々な思いが浮かんできます。

何より最初に浮かんでくる思いは…

一見、ごく普通の、どこにでもある診断のように思えるのだけれど、患者の立場からすれば、透析を受けるか受けないかという気持ちを決めるには情報が足りなさすぎる!
けれど、そんな状況なのを意識しているかいないかを別にして、そのまま意思を決めようとしていないだろうか?

ということです。

インフォームドコンセントは患者のためのものだけれど…

義母は当時87歳。医師は、義母の健康状態も精神状態もとても良好だと言い、だからこそ透析を受けることを勧めたいと言ったといいます。

透析を受けることにもリスクがあるということはもう少し具体的に説明されたようですが、それでも、インフォームドコンセントと言いながら、この話しの流れは、私の実母ががんの宣告を受けた時とほとんど変わりがありません。
つまり、患者の意思を尊重しようとしてくれるインフォームドコンセントは、患者からの働きかけ - 意思の表明や疑問の投げかけ - がなければ発動してくれないのです。

義母がいたのは、

  1. 透析を受けますか? 受けませんか?
  2. 受けます と決めたとすると
  3. 受けるためのリスクや手順、注意点などを説明しましょう
  4. それぞれの説明の内容に疑問があれば何でも聞いてください。説明しますから…
  5. 通院+透析。そして日常の生活へ…

このステップのうちの最初の 1.。

この段階、特に診断を受けた直後のようなタイミングであれば、多くの患者にとって、「病気を治したいと思うか・思わないか」 と聞かれているに過ぎない - そんなケースが多いでしょう*。

MEMO:
*: 「治したい」と患者が応えたとすれば、その答えが「治療することに同意します」 というサインにつながっている - 5年6年前、母の診断に付き添って目の当たりにしたのが患者と医師の間で交わされる話しの中身でした。

今、義母を診てくれていた医師がイメージしているインフォームドコンセントはどんなものだったろうと思うのです。

QOL-for-your-family
(c) Can Stock Photo

透析を受けることを勧めたいと伝えてくれたということは、透析を受ける(=受け続ける)ということがどういうことかを説明する準備をしてくれている - そう思いたくなりますが。

  • 週3回の透析をどう行うのか。
  • 体はどう受け入れなくてはならないのか。
  • その透析をこれから生涯つづけることができるのか。
  • どんな痛みがあるのか。
  • 体がどんなふうに変化するのか。
  • もし副作用が出たときにはどんな治療が必要になるのか。
  • その副作用のリスクを考えても透析を受ける意味があるのか。

そんなふうに、患者にとっては聞きたいことが山とあるはずです。ところがインフォームドコンセントは患者から働きかけなくては発動しない - つまり、「家族でよく話し合って」という言葉は、

「治療を受けるか・受けないか」の意思の表明になっていることもあるだろうし、
その意思を決めるために何を確かめたいと思うか、疑問なことを整理するということであってもいいのです。

たとえば、
「体がとんなふうに変化するのか」 - それは、治療を続けようとする患者の気力にとても大きく影響します。その問いかけに医師が「人によって違うので一概には言えません」と言ったとすれば、患者本人にとっては説明になっていないのです。

  • こういうことが起こり得る
  • 医師もこういうふうに助けるように努力する
  • 患者はこんなふうに受けとめ頑張ってほしい
  • 家族もこんはふうに支えてほしい

そうした説明があってはじめて「治療を受けよう」という意思になるはずです。

インフォームドコンセントは患者が行っていくもの

言うまでもないことでしょう。
余命宣告というのは患者本人にも、家族にとっても十分すぎるほどショックな話しですから、とてもすぐには答えが出ないというケースが多いのではないかと思います。

がんの宣告を受けたときから、特に心理的には死を意識せざるを得ないストレスを抱え続けた母のことを思い出せば、「透析を受けるとしても・受けないとしても」、診断を聞いた瞬間から患者は自分を自分で支えるためのインフォームドコンセントを必要とします。

そのインフォームドコンセントは医師との間のものではなく、自分、そして家族との間で進めるインフォームドコンセントが先にあるはずです。言い換えれば、インフォームドコンセントは患者本人が行っていくものだと言っていいでしょう。

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治療を受ける・受けないに関わらず、診断を聞いた瞬間から患者は自分がどう命を続けようとするかを決めて、自分で必要なことを行っていかなくてはいけない - インフォームドコンセントは自分のQOL (Quality Of Life) を管理するための拠り所かも知れません。

たとえば義母が「透析は受けない」という結論を出したとしたら、医師はどんなアドバイスをしてくれるでしょう。
透析を受けずに迎える最後にどう対応すればいいか、日々の生活でどんなことを気をつければいいか - そのためのインフォームドコンセントにも答えてくれるだろうか、そう感じているのです。

余命宣告 - 母のがん闘病の経験で義母を支えることができたら」 へ

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