終活 - 実家をたたむという発想

愛着を確かめることが第1歩

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実家をたたむ - 処分する - というのはたぶん究極の断捨離 - 私はそんなふうに感じるタイプでした。ごく普通のサラリーマンだった父が自分の力で立てた家は当時、築40年。両親に対して、それなりに大切に思う感情があっ て、長年暮らした家にはたくさんの思い出や、それまで知らなかった両親にまつわる記憶や品が本当にたくさんありましたから。

実際に実家の扱いをどうすべきかを考えた当時で言って、築40年。今では築45年を超えたことになります。

日本式の在来工法 - 漆喰を使った壁や障子・襖のある家ではなく、2×4(ツーバイフォー)工法で建てられた家で、外壁を全面交換したり、給湯器を入れ替えたり、床下の空気を常時入れ替える湿気対策をしながら両親なりに大切に使っていた家でした。

トタンぶきの屋根を定期的に掃除し、ペンキを塗り直す仕事は主に私の手伝でした。何本もの植木のある50坪ほどの庭と母屋の周りの手入れも、若いころにゴルフ場の管理の仕事を通して培った造園の知識や技術を使って、一年を通して定期的に手伝ってきました。

外 観にさほど悲惨?な印象はなく、雨漏りやシロアリによる食害もなし。塩ビ製の雨どいが数か所、ひび割れて交換を必要とした以外は、カビや結露による壁、 床、天井の損傷もなし。贅沢を言わなければ、雨風を凌ぐのに問題を感じることなく、これまでと同じように手入れをしながら、住み続けることができそうに思 える家でした。

電気、ガス、水道、排水、電話 - そうしたライフラインの維持も、庭の植木の剪定や雑草の駆除、周囲の掃除などを、業者に依頼することも検討しながらもすべてを家族の協力を得ながら自分で こなしてきました。それは、一区画の不動産を所有していることの責任感とその場所、家に対する愛着があったからだろうと思います。

相続_それは親子の思いを確かめ合う作業
(c) Can Stock Photo

家族、兄弟姉妹の思いを確かめることが次の1歩

兄妹があっても男は私一人。年齢的な感覚も手伝って、両親亡きあとの実家の問題は、自分が引き受けなければならない問題だという感覚がありました。何度か話し合って確認した周りの期待もそうしたものでした。

その家を結局は人手に渡そうと決めたのは、

  • 両親の闘病とそれにともなう医療と介護、葬儀、さらには墓所の購入にかかった費用、
  • 空き家法(空き家対策特別措置法)、
  • そして自分の年齢と生活

をあれこれと相談したり、考えた結果でした。

司法書士と、その司法書士に紹介してもらった不動産業者の助けをかりながら、

  • 遺産相続
  • 遺産分割協議書の作成
  • 固定資産税についての基本の確認
    • 空き家法と実家の条件の照合
    • 不動産の維持についてのメリットとデメリットの確認
    • 不動産の処分やその費用の確認
    • 必要な法務手続きの確認 などなど

ずいぶんたくさんの勉強をしたように思います。

築 40年という条件を考えれば、その家にそのまま住もうと思う人が簡単に見つかるとは思えない、けれど、そんな人がいてくれたら実家を何らかの形で処分しな くてはならないという思いもいくらか軽くできると考えました。

いくつかある可能性のひとつとはいっても実家の建物そのものをなくしてしまうことには、どこ かにためらいがあったのです。

最後の意思_それは家族のために
(c) Can Stock Photo

“ときめき” や “こだわり” を感じるものへの断捨離はとてもむずかしい - そのストレスは自分のその後に影響してしまいかねないから・・・そんな話しを聞いたこともありました。

一度、売却という方針を固め、必要な作業を進め始めて分かったことは、土地を買い、実家となる家を建てようとした両親、特に父は、売却のために私が進めた作業の逆の手続 きをしてきたのだということでした。

土地に対する権利の所在を確認する中で、妙に律儀な父が残していた実家不動産に関するすべての書類、領収書、そして日 記やメモ、設計図、見積書・請求書を見て、そのことがよく分かりました。

ただ残念なことに、最晩年の父は、眠ったきり(寝たきりではなく)に近い状態で意思を疎通できる状態ではなかったこと。そしてそれより前、自分のことも、母との日常の生活で必要なこと - 電話をかけて業者に仕事を依頼したり、洗濯や掃除、片づけにはじまって、役所、スーパーマーケット、電気店や郵便局などとクルマを運転して出かけて行ってすませる用事 - も自分でこなせる状態でいた頃には、自分の老後や遺言など、どれほど言葉を選びしっかり話しを聞かせてほしい、私の思いを聞いてほしいと願ってもだめでした。

そして現実は。そしてもう一度、自分のやるべきことは

空き家法が施行 される - それはまったく無理のないことだろうと思いながら、相続やその後の可能性に頭を巡らしていました。実家からほど遠くない場所に、住む人を失い荒れていく家 が何軒もあるのを見ていたからです。手入れのされない、腰の高さを超える雑草だらけで足を踏み入れることができそうもないという感じの家もありました。両隣には普通に生活している家が並んでいるのにです。

もし、実家に住まないとしたら、

  • これまで自分で続けてきた維持の作業を続けるか、あるいは業者に依頼するか
  • またあるいは、母屋を(植木を含めて)なくすか

という選択肢を考えたのは、何より、前後左右のお隣さんへの責任をどう果たすかという思があったからです。

一方では、畑だった場所を宅地化して家を建て、分譲地として新しい住民が移り住んで来ている -そんな姿を見るにつけても、住み慣れたと思えるほどその土地や家に慣れたなら、その場所を離れる日のことを思わなければいけない・・・ 漠然とではあっても、そんな考えを持つようにもなりました。

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まだ考えるには時期尚早でしょうか。

人生に必要なことは、家族と自分の生活をどう輝かせ、守るかということ。そのために避けて通れないところは通らなくてはならない - 私はそう思うのです。自分の責任を果たすためにも、現役で、肉体的にも精神的にも力があるうちにできることをやっておかなくてはならない。笑顔のあふれる生活のための覚悟、それが私にとっての終活だと思っています。

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