終活 - その時ほしいのは勇気と優しさ

最後の話しをする気持ちを挫くもの

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それは何と言っても、親が子を思う気持ち。そして、子が親を思う気持ちだろうと思います。

きちんと話しをしなくてはいけないだろうと思っていたとしても、子にとっては、「相談したいことがあるんだが」と親から切り出してもらった方が話しやすいし、親にとっては、「一度聞いておきたいと思っている事なんだけど」と子から切り出してもらった方が話しやすい - そんなタイプの話題が相続や親の最後を考える話しでしょう。

ところが、親にとっては、「子どもには迷惑はかけないと言ってきた手前、どうも切り出しにくい」、子にとっては、「親の気持ちやプライドを傷つけることになりそうで、どうも切り出しにくい」話題でもある - 少なくとも、わが家の場合はそうでした。

特に父親にとっては、自分でできなくなるということが受け入れにくかったのでしょう、まともに最後まで話しをするのが辛いようでした - 少なくとも、私にはそう感じられました。不機嫌になったり、不機嫌にならないまでも話題をそらしてしまったり・・・。

確かめておかなくてはと思ったなら

ただそんなわが家でも、両親が健在で、いわゆる生活現役として自分たちのことを自分たちで決め、行動し、まかなえていた頃から、機会を捉え、きっかけを変えては、何度も両親と話をしていたことがありました。それは、

ひとつは住む場所のこと。

  • 実家の建物は築年数が進み、修理を必要としてもこれまでのように自分ではできなくなる。人でを頼むのもまとまった出費が必要になる。
    そうしたマイナスの可能性が高まっている実家の土地家や持ち物も整理するとか、売却するということ考えはないか
  • さらに高齢になって、クルマを運転することがむずかしくなれば、普段の買い物さえ苦労するだろう。
    買い物にも歩いて行けて、かかり付けの医者に近く、交通機関も利用しやすい場所に移り住む考えはないか

ひとつは健康のこと。

  • もし両親のいずれかが介護を必要とするような身体になったら、そのときはどんな風に暮らしたいと思うか

ひとつは葬儀のこと。

  • 最後はどこで迎えたいと思うか
  • (両親は信仰を持っていましたから)葬儀はどうしたいと思うか、お墓はどうしたいと思うか

今だからはっきりと理解できますが、話しの中心になる両親の気持ちを思えば、一度にできる話しでなないですね。実際、1年、2年、3年、4年と時間をかけて少しずつというのが精いっぱいでした。それくらい、両親にもまだ時間はあったのです。

ただ話しができたにしても、残り時間などというものを意識しないですむ健康な状態であれば、話す方も聞く方も、どこか実感を持たないまま話しをしていたのではないかとも感じるのです。

もちろん私には、無理に白黒つけるような必要はない、何と言っても両親の人生に関することなのだからという気持ちが基本でした。それでもそんな話しをしようとし続けたのは、両親の側に良くも悪くも、家族とか家庭というものにこだわりがあるとかんじていたからでした。

もし、相続を、あるいは両親の最後をしっかり話し合うためのHow Toなどというものがあるとしたら、そこにはきっと、

  • 正直な自分の思いを包み隠さず伝える優しさと勇気を持つということ
    そして
  • 相手の話しを丸ごと受け止める勇気と優しさを持つこと

という、2つのアドバイスだけがあるのではないと思います。

終わりを意識してからでも間に合うものだろうか

特に、相続と言って最初に気になったのはやはり税金 - 相続税 - のことでしたが、ある程度しっかりと内容を分かっていないと漠然とした話ししかできなくなる。そんな、危惧を感じればなおさら、直接の話し合いがしにくくなったり後回しになったりするものです。

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相続税のことを勉強してみれば、両親の財産が控除額でカバーしてもらえないほど高額なのかを確認しさえすればよい、そこから始めれればよいということがすぐに分かるのに、です。

その漠然とした危惧と、親子それぞれの思いに邪魔されて?いるうちに、父は自分で考え、決め、行動することができない年齢になっていたのだなぁという思いが残っています。

To be continued…

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