誰もが通る道?! それでも自分で答えを出さなければ!

悩んできたから、「悩まない」の意味が分かる

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自分を大切にしてほしい… 矢作さんの言葉はそんなふうに聞こえますが、きっとこういう意味なんだろうなと感じる一方で、この言葉がどんなとことから生まれてきたのかを想像しています。

なぜそんなことを考えているのか。

言葉には表と裏がある… ということを学んできたなぁと気がついたからです。

仕事、あるいは何かやるべきことに打ち込んでいると魂の輝きが増すと言いましたが、何かに一生懸命な時には邪心が消えます。邪心が消えると自分に対する周囲の評価が気にならなくなり、他人の視線さえもしだいに気にならなくなると思います。

出典:矢作直樹氏著・「悩まない—あるがままで今を生きる

邪心というのはどんな心を言うのでしょう。
「邪」と書いて「よこしま」と読みますね。
「よこしま」といえば… 道に外れているとか、正しくない… 「横を向いてしまっている」ような状態のことを言うらしい。

「道に外れている」というと… あるべき姿でなくなっている状態、くらいの意味でしょうか?

矢作さんが言っている「邪心」というのは、たぶん…

自分がこうありたいと願う姿があって、その姿に近づこうとする自分がいて、その2つの自分を「正」とするとしたら、

  • 近づけないことを言い訳したり、
  • 近づけていないことが分かっているのにそれを素直に認めることができなかったり、
  • 近づきさえすればいいと虚勢をはったり、背伸びをしたり

そんなわき見をしている自分の事を邪心のある自分だと言っているのじゃないかと感じます。
自分に対する周囲の評価や他人の視線など気にせず、自分に夢中になってごらん! と言っているように思います。

何かやるべきことに打ち込んでいる…
そのことをひっくり返して、父はよく逆から見ているようなことを言っていたように思います。

自分のことしか考えない思い上がった心があるから、自分のことばかりで夢中になれるんだ…
人としてあるべき姿を持てない者が何をどれほどできるようになろうと、半人前以上のものにはなれない! と。

残念なことに、父の視野は何かのフィルター越しに私を見ていたのでしょうね。
フィルター越しにこちらを評価してくれるものだから、
父にとって何が大切なのか、どの部分が、父が大切だと思っているものなのかがよく分かりませんでした。

いや、フィルターではなく、本当に、「自分、自分と言うな!」 という価値観の中で育ち・生きてきた人だったのかも知れません。

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父や父の年代の人たちが使っていた「おかげさま」という言葉を思い出せば、両親のもとで育っている子どもである私たちはそれ以上ということはない - 「自分」を語るにはxxx年早いわ!! という価値観の持ち主だったのかも知れません。

今日一日、夕餉をいただける「おかげさま」… 新しい一日を迎えられた「おかげさま」…
その中で、まだ自分の口を自分で養えない半人前が何を思って「自分」などと言いたがるのか!? というわけです。

そんなふうに考えてみると、父の言いたかった(のかも知れない)思いがなんとなく想像できるような気がしてきます。

 

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