理解し合うことで人間関係がむずかしくなる!??

私たちは社会の中で、人との関わり合いを通して生活しています。「人間関係に悩む」という言い方をすることがありますが、人間関係というのは何か特別なものが、何処か特別な場所にあるわけではなく、自分もその関係作っている当事者だという意識が必要なんだと思うようにしているのですが…

それにしても、人との関わりを考えることなく過ごすことができたら、どれほど楽だろうと思うこと、思う時期は誰にもありますね。

人間関係はどうしてこうもむずかしいのだろう - と言ってみると、それは、人として生きていくことはどうしてこうもむずかしいのだろうと言っているのと同じだと気づきます。そして、そのむずかしさを感じるのと同時に「十人十色」という言葉を思い出します。性格が人それぞれ違うように、考え方も感じ方も、好き嫌いもありとあらゆるものがみんな違う - 分かっているはずなのにむずかしいのですよね。互いに分かり合って、互いに譲り合って、互いに尊重し合っていかなくてはいけないと分かっているのにむずかしいのです。

ただ、最近になって分かってきたのは、「これでOK」という答えを求めるからむずかしさが止まらないということです。

逆も真なり! が通用するだろうか

一人として同じ人間はいない。”考え方も感じ方も、好き嫌いもありとあらゆるものが違うのだ” と分かっているとしたら、たとえばもし、互いに分かり合うことができたとしたら、次には互いに譲り合うことができるだろうかと考えてもよさそうなものです。そしてもし、互いに譲り合うことができたとしたら、その次には互いに尊重し合うことができるだろうかと考えればよいだろうというわけ。

ところが、私たちには “分かり合えた” と思いたがる傾向がある上に、分かり合えたと感じることができたとすると、 譲り合い、尊重し合えると勝手につなぎたがる傾向もあると思うのです。言い換えれば、私たちは答えを出したがるのです。答えを出したつもりなのにその答えがうまく機能しない! その繰り返しに疲れた結果が「人間関係はむずかしい」という言葉になる。

だから、「これでOK」という答えを求めないようにしてみたらどうだろう!? と思うのです。

 

そんな突拍子もないことを考えるのも、人間関係はむずかしいと感じる同じ心で、個性を尊重したいと感じるからです。

スポンサードリンク

「個性」というのはそれこそ、「十人十色」を表す別の言葉と言ってよいでしょう。違ってあたりまえ! と言えてはじめて守ることができるのが個性というもの - 私たちは実はそれを感じていますし、理解してもいます。違ってあたりまえ! の人間同士が作る人間関係はむずかしくてあたりまえ。そう認識することが個性を尊重することのはじまりなのです

他人と同じようにできないのも個性

今だから笑って言えますが、私は周囲と同じようにはできない子どもでした。変人に見られていたと思います。
ひとと同じようにできないと、次第に周囲から圧力がかかります。
その圧力が強ければ強いほど、つまり「同じようにやれ」と感じるような言葉や態度が強まると、次第に「自分はおかしいのか」という疑問へと変わります。
おかしくはありません。
ひとと同じようにできるのも、できないのも、その人の個性だからです。個性を持って生まれるのでなければ、私たちがこの世に生まれる意味が存在しません。

出典:矢作直樹氏著・「ひとりを怖れない

私には、この矢作さんの言葉が、人は理解しようとするのではなく、そのまま受け入れなさいと言っているように聞こえます。

分かっているはずのこの「個性」も、守ろうとした途端にむずかしくなります。違っていてあたりまえと言いながら、違うからこそ!? 相手の違う部分を受け入れにくい、認めることができない - だからこそ、答えを求めようとしないでそのままいよう、そのままに受け止めようと言っているように感じるのです。