スポンサードリンク

私たちの仕事観、生活観、人生観は何でできているか

働く目的を見直すということの意味

「死ぬまで働く」
「カリヨン・ツリー型のキャリア」そして
「ダウン・シフト」

高齢化社会ということが言われるのといっしょに長寿化ということも言われるようになって、そんな長寿型の人生を考えるとき、こんな言葉たちがセットで聞こえて来る機会が増えているような気がしますね。

いつでもこの3点セットというわけではありませんが、この3点セットを見て、今の仕事感や生活感、あるいは人生観といったものを 丸ごと変革するんだ! という気負いようなものを感じるのは私だけでしょうか?

言葉そのものや、ひとつひとつの言葉のニュアンスは微妙に違っているようにも感じるのですが、

たとえば、リンダ・グラットン氏がLIFE SHIFTの中で語るように、

ひとつのキャリアから別のキャリアに切り替えて、新しい自分に向き合う柔軟性を持とう
という<シフト>の考え方を前倒し? して実践しようとすると、私が感じている気負いが必要になるのでしょうか?

ダウン・シフトは新しいものではない⁈

たとえば「ダウン・シフト」。
今では昔のものになりつつあるのかも知れませんが、年功序列型の雇用形態の中にもはっきり組み込まれていたと思いませんか?

子育てが終わりにさしかかる・かからないに関わらず、たとえば50歳を境に雇用形態や給与面の待遇のランクを下げる55歳になればさらにその下げ幅を大きくする

私の父の世代ならそこで定年退職の扱いになっていたし、その定年が60歳から65歳、今は社会保障制度との兼ね合いもあってさらに70歳に向かうかも知れない⁈ -
言い換えれば、年功序列型の雇用形態は、この強制的なダウン・シフトを仕組みとして持っていた(いる)と言えそうです。

そして、その仕組みの中を生きてきた、あるいはそんな父親たちを見てきたにも関わらず、私たちはそういう仕組みを意識しているようでいて、自分や社会が変わりはじめていることには鈍感だったのじゃないのかという気恥ずかしさのようなものを感じます。

<シフト>という言葉につづく「ダウン・シフト」は自分たちが知っていたものとはちょっと別のことを言っているようだと今さらのように気がついたのですから。

 

55歳、60歳の定年と平均年齢80歳前後という条件だけでなく、

  • 核家族化が進んで老後を家族に頼れない
  • 自分でと考えても年金だけでは暮らしていけないかも知れない
  • しかも、寿命は100歳に向かおうとしている?? となれば

会社や社会に決められていたダウン・シフトをただ受け入れ、それに順応して生きるだけではなく、個人が自ら進んでダウン・シフトの方向性を考え、決められるようになろう… そんな提案はごく当然のものなのかも知れません。

年相応の生活なのか、収入に見合った生活なのかはともかくも、強制的なダウン・シフトだけでは対応しきれない - 想定していたより長く続くかも知れない人生を前提に、生活観とか人生観そのものを変えようというのがダウン・シフトの本来の意味なのですね。

年功序列の強制的なダウン・シフトは第1期、
今私たちが向き合おうとしているのはダウン・シフトの第2期と言えるかも知れませんね。

ダウン・シフトの意味を覚えたら

ただ、時折目にする「死ぬまで働く」という言葉は、意識改革のカンフル剤だとしても、偏りが強すぎないかと感じます。
今現在を懸命に働いている人のモチベーションを否定しかねない… そんな恣意的なものさえ感じるのです。

特に、年功序列でできた世の中を生き、生活してきた私たちには仕事を休むということを忌むべきものと捉えるようなところがないでしょうか? クライアントに、あるいは職場の仲間に迷惑をかけないように… が常識、良識とされていて、風邪薬のCMさえ「絶対に休めないあなたのために」なんてコピーがありますもんね。

仕事仲間に何かがあった時にどうカバーし合うのか - そんなフォーメーションを持っている組織はあまりないのじゃないかと感じます。

本当なら、そんな仕事とプライベートをバランスよく結ぶ感覚が合ってもいいと思うのですが、任せられた仕事は個人で完結すべきものというようなイメージが固定していて、「仕事は休むものじゃない」があたり前?? になっているかも知れないのです。

「死ぬまで働く」というような働き方はおかしいと思ったとしても、仲間同士のフォーメーションの取り方も知らなければ、その発想さえ持てずにいる - だから、「死ぬまで働く」のか? という言い方をしないと意識の変革さえできない! 変革しなければいけないという意識さえ持てない!? なんていうことになるかも知れません。

だから、この言葉に、そんな私たち自身のほほを叩くような響きを感じるのです。そして、困ったことに、私たちはしっかりショートカットして受けとめます。「そんなにまでして働くことはないのだ!」と。そもそも、自分にとって働くということはどういうことだったのか、考えて・確認してみることをスキップしてしまって、「働かない」という領域までジャンプしてしまうのです。

恣意的なものさえ… といった偏りというのはそのことです。

 

3点セットの言葉と言いましたが、こうした言葉を脇に置いておいても、自分は何のために働いてきたのか、どう働いて行こうと思っていたのかは説明ができるのではないかと思うのです。

“カリヨン・ツリー型のキャリア” と言いますが、リンダ・グラットン氏の著書を読んで感じるのは、私たちにとっては二者択一だろうなということです。

スポンサードリンク

直感的に感じるのは、生涯をかけて技を磨き上げる専門家ではなく、その時求められる仕事にいかに対応するかという順応性・柔軟性、あるいは器用さか?? と聞こえます。そうした生き方ができるかどうかの二者択一が必要だと言われているように感じるのです。

言ってみれば、一芸にこだわるか、潰しを利かせるか… というように。

だから、3点セットが4点セット、5点セットになろうが、まず自分がどんなパターンの思考でどんな道を歩こうとするタイプなのか、己を知ることが欠かせないなと思うのです。