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最近目にすることが増えた認知症にまつわる記事や説明。
そうした説明に触れて思うのは、どこか・誰かのことではなくて、自分にも当てはまることだという意識が必要なんだなということ。

その意識を持つことで、もし自分の意識や精神に何かの症状が起こったときには、自分はもちろん、近くにいる仲間や家族の助けになることもあるのだろうなと感じます。

経験や環境によって違う健康への意識?

考えてみれば、私の場合は、自覚も記憶もない1歳のときにかかった結核性の大病とその後遺症と折り合いをつけようとした子どものころの生活がトラウマになっているのかも知れないとも感じます。

高熱が出たり、喘息の症状が出たりを繰り返していましたし、その病を忘れて過ごせるようになったのは高校に入学したころからでしたから。

性格にもよるのでしょうが、病院の利用の仕方とか、医師から受ける説明の聞き方、普段の生活での気をつけ方などは、子どもの頃に両親や医師から教わったようなものでした。

自分の意識とは別のところで起こる体調の変化

それが、年齢を重ねてから経験している症状は、神経とか精神活動、意識といったものに関連する診断につながっているものが増えているような気がします。
要するに、脳の働きに関するものですね。

風邪を引くというのとはちょっと違って、意識に関わる病気にかかるというのは自分の意識でどうにかなるというものではないように思います。

若いころ病院を頼った症状というのは、痛みを我慢するとか、症状が出ないように食事や睡眠に気をつけるなど自分で対処する余地があるものがほとんどでしたが、ごく最近経験した良性発作性頭位めまい症のように五感を直撃されるような症状に出会うと、さすがに意識が変わってきます。

レントゲンやCT、MRIとどの技術を使っても、これ! と言って原因を特定できなかった - などと言われると尚更です。自分ではどう考えても思い当たる節もない。なのに何をどうしたらいいのか分からない、不可思議な症状でした。
それなのに、立つも座るも思うに任せない。めまいはおろか、見たいと思うものを見ようにも目が勝手に動いて焦点が合わない! なんて、自分の体が自分の意志とはまったく別のところにある - そんな経験でした。

自分の両親を通して経験した精神や意識というものの老化

これまでいくつかの記事に書いてきたように、私は両親を通して譫妄(せん妄)というものを経験してきました。知識がなければ、私たち素人にとっては 認知症! と思いたくなる症状でした。

骨折した足を直してもらう手術を受けるために入院した - ただ、それだけ。あるいは、がんの手術を受けたあとの痛みを抑えるための痛み止めを処方してもらっただけ。

それまでは何と言うことはない思っていたあたり前のことをしただけなのに、両親の精神は壊れてしまったのです。
自分がなぜそこにいるのかも分からず、自分に話しかけている子どもが誰なのか分かっているとは思えないような態度と言葉を返してきたりしたのです。 「心が折れる」という言葉がありますが、人格も壊れるのです。

精神も意識も老化する… と言うとすれば、その老化は - 形や程度の差はあるでしょうが - 私にも訪れるものだという気がするのです。

 

年を取る - 老化 - というものを間違えていないだろうか

思い返してみると、私たちは色々な情報を得て賢くなった分、こと認知症というもの、年を取るということに関して、何かを間違えていないだろうかという感覚を消すことができません。

認知症と違い、時間や状況の変化といっしょにもとに戻っていくせん妄というものを見てきたからのような気がしているのですが…

一般社団法人 日本臨床内科医会というところが制作した冊子

わかりやすい病気のはなしシリーズ50
認知症

にこんな説明があります。

・・・ところが認知症の “病状” は、検査結果(記憶力のよし悪しなど)と関係しないことがあります。
その “病状” とは、がんこになる、興奮しやすい、暴力的になる、被害妄想、抑うつ、幻覚などで、これらは「周辺症状」または「BPSD」と呼ばれます。

(中略)

周辺症状は中核症状より実生活への影響が大きく、ご本人だけでなく患者さんをケアするご家族や周囲の人の負担になることが少なくありません。ケアする人の患者さんへの接し方や居住環境によって、周辺症状が左右される傾向もあります。
患者さんは、自分が認知症として扱われることを不快に感じることがあるので、ご本人の尊厳を重視しつつ、コミュニケーションやスキンシップをとることで、周辺症状がよくなることも多いのです。

  • 頑固になる
  • 興奮しやすい
  • 暴力的になる

その他いくつかの症状があげられていますが、ちょっと考えてみると、
「年を取ったせいか最近なかなかこっちの言うことを聞かなくなって…」とか、
「あんまり興奮しないの! 血圧上がるよ!」なんて会話は昔もあったのですよね。

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つまり、年齢とともにそういう傾向が強くなることがあるからねと、はっきりした基準はないけれど、父親の高齢化、母親の高齢化をやんわりと受け止める術があったように感じます。

「もう年が年だからしょうがないね」 という言い方、扱い方もあまりいいものではないだろうと思いますが、たとえば、頑固を「年が年だからしょうがないね」 と受け止めるのと、「認知症だ」と受け止めるのとでは特に家族の側に天地のほどの違いがあるのではないのかな… との家族の側の受け止め方が、この冊子が言うように、周辺症状の回復や悪化に影響するとしたら…

そして、年を取るということも、明日のわが身と思って見ることができたら、周辺症状を軽くすることにならないのだろうか - なまじ認知症という診断をつけることで私たちは何かを誤解したり、無くしたりしていないだろうかと感じるのです。