自然に自分らしくで健康を守る - 「いのちが喜ぶ生き方」

自分の年齢やからだ、そして健康の関係は?

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自分の健康には普段から気を配っているつもりでいたのですが、自分でもわけが分からないと思うような体調不良に見舞われたりすると、何か想定、想像できないことが体の中で起こっているのかな? これまでとな違うステージに入って来るところかな? と思ったりします。

自分の体に感じる小さな、軽い違和感などを感じる前から体や心のことに気を配る - 囚われるのではなく、注意をしながら、軽やかに過ごすことってできないものでしょうか?^^

「病気になってから治すのではなく、病気になりにくい心身をつくる、健康を維持する」ことを目的とする予防医学の近年における発展は、現在の世界の医療における中心的な潮流であり、今後もっと大きな流れになると思われます。

そこでいつも話題になるのが生活習慣病の予防です。食べ方、生活サイクル、運動法、禁煙禁酒••••生活面でいろいろと心がけてくださいと言われても、なかなかできない人が多いのが現実です。
結局は病気を発症してはじめて病院に来られます。体質や免疫力には個人差がありますから、人によっては回復を待たずになくなるケースもあります。

矢作さんの著書にあるこの言葉は、指導されアドバイスを受けるであろう立場の者としては、何となく耳の痛い話しですね。ただ、何となくしっくりこないものも感じるのです。

key of your health
(c) Can Stock Photo / kovaleff

もしも “健康を維持するための予防医療” を受けたいと思ったときにはどこへ行けばいいのでしょう⁇
矢作さんが言われているのは、今はまだ、そうした熟成が十分ではないが、という話しでしょうか?

会社の健康診断のような機会があって、要再検査、要精密検査というような紹介状を出してもらい、結果的に治療を必要とするような異常はありませんよ、ということになったとして、「今後の生活でどんなことに気をつければいいでしょうか」とアドバイスを求めるようなシチュエーションはあるかも知れません。

そうしたときのアドバイスが「予防医学」のきっかけだから大事にすることを考えみては、という話しでしょうか?
いわゆる早く楽になってほしいとか、治してもらいたいと思う病状 - 主訴 - が私たちにあって、治療しようという医師のスタンスがあって問診なり、検査なりをはじめてもらえる、そういう順序というか - 鶏と卵話みたいですが - があってようやく自分の体(時には 心)のための必要が分かるということの方がやっぱり多いような気がするのです。

“どこにも異常はないけれど、厄年を迎えたこともあるし、この1年、健康面でどんなことに気をつけて過ごせばいいだろう” - それくらい気楽な、日常的な相談からはじまる「予防医学」「予防医療」ってないものだろうかと思ったりするのです。

肝臓に、腎臓に、食道に・・・と、あれこれ指摘されて再検査をしてもらっても「異常なし」で話しは終わり。見てもらうこちらから質問を向けなければ、積極的にアドバイスをもらえるということはありません。

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潜在的なメタボ候補者だからというアドバイスならぬ指導が私たちにとって一番身近な「予防医学」だとすると、消極的なレベルなんだなと思わざるを得ないのです。

もちろん不調とか具体の悪さを感じたら自分で類推せず、自分の中にある不安を解消するという意味でも医師に相談するのが一番です。
それでも強い指導は必要ないと思います。

なぜそう考えるのか? それは「こうしたらいいですよ」と指導されて「そうですか」ときちんとできる人が、必ずしも多くないからです。

この言葉もやっぱり胸のどこかにしまっておこうと思ったりするのです^^;

引用はいずれも、矢作 直樹さんの「「いのち」が喜ぶ生き方」からです。

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