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「京都人の作法編」 というサブタイトルをつけて、9月5日に放送されたNHK BS の番組 『京都人の密かな愉しみ』。2時間番組だった初回放送 “” 編の内容を30分ずつ4つに分けたうちの1つですが、単純な再放送とはちょっと違った味わいでしたね。

京都という街、あるいは土地は文化とからめて語られ、表現されることがとても多いところ - そんなイメージがあります。
もし、その私のイメージが正しいとしたら、何か理由があるのだろうか? と思ったりします。

 

京都 - 東京から見たその街は

この街は、暗黙のルールに精通した人の人間関係で円滑に動く仕組みになっている

暗黙のルールを教えてくれる教科書はない。
子どもの頃から長い時間をかけて体得していくものだ…

出典:京都人の密かな愉しみ - 作法編
登場人物 エドワード・ヒースローのナレーション

このナレーションは一見、京都という街を語っているように感じますが、よく考えてみれば、どの街にも、どの国にも通じることだと思いませんか?

その土地や国というものは、そこに住む人たち同士に通じるルールを正しく営めるようになるほど円滑に動くものだ。そのルールは生まれ、育つ中で時間をかけて覚えていくもので、一朝一夕に身につくものではないから、真摯に忍耐強く学ばなくてはいけない…
そんなふうに。

もしそうだとすると、関東 - 特に、気が短いと言われる江戸っ子にはむずかしい学びになるのかも知れません^^;

東京から見ると、京都は神社仏閣、着物など、東京にはなくなったなぁと思えるものが形として残り、生きている、そんなイメージがあるのですが… 実はこのイメージ、ヨーロッパから日本を訪れる友人や仕事仲間と大して変わらないレベルだと思います。

 

外国の友人に教わる「日本」というもの

ヨーロッパから日本を訪れた友人や仕事仲間の多くが同じように口にするのが -  「古い文化が超近代的な文化が同居している日本が興味深い」 そんな意味合いの言葉。

私は生まれてこの方、東京以外を知らないというほど東京や東京の周辺で過ごしてきた人間ですが、東京には新しい方の日本を見ることは多くても彼らがいう “古い日本” がそんなにたくさんあるような印象がありません。
私の中で「古い日本と新しい日本の同居」 というイメージに重なるのは東京ではなくて京都なのです。

ただ少し考えてみると…
鉄筋コンクリートでできた街の中、最新の建築技術で建てられた歌舞伎座で演じられる歌舞伎。東京で見られる “新しい日本と古い日本の同居” というのはそんな姿をしていると言えるかも知れませんね。浅草寺とスカイツリー、増上寺と東京タワーのように取り合わせも彼らの言う “新旧の日本” に通じるでしょうか。

京都の祇園、大阪の天神とならんで日本三大祭りに数えられる神田祭も歴史をたどってみると “古代” といっていいほど古くから伝わっている祭りだということが分かります。
箸と茶碗を使う食事 - 意識することはほとんどありませんが、「食文化」と捉えてみればこれも古い日本なのかも知れません。

普段は翻訳という仕事を通して国と国の間の文化の違いを感じたり、その違いを意識することが仕事だと思っているのですが、自分の国 - 日本 - の文化ももっと意識しなくてはいけないなと思ったりもするのです。

 

少なくとも京都はかつての日本の中心だったところ。
そのイメージがそのまま、私の中にある京都という街のイメージになってしまっているような気もするのですが、 『京都人の密かな愉しみ』 が意識させてくれる京都と東京の違いは、登場人物エドワード・ヒースローの言葉のようにとても遠くて深いところにあるのかも知れません。

その違いをそのまま認めて相手を相手として受け止める - それは日本人として同じ血を持っていると教えてくれているような気がします。

番組の中、「ぶぶ漬けでもどないどす?」 がくせものだと語るヒースローの言葉も印象的です。

相手に気を遣わせない、迷惑をかけないというのが、狭い盆地の中で肩を寄せ合うように暮らしてきた京都人の見栄です。

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ドラマの中のある女性の言葉もヒースローの言葉に続きます。

京都の人間はなぁ、ほんまは見栄はりやねん。
せやかて、自分の綺羅を飾るんやなくて、身内の者に恥かかさんようにや。

東京という街にはほんとうにたくさんの土地からたくさんの人が集まっている。
だから、すべての人間関係でそのたくさんの人たちが受け入れられるような “平均化” が行われる。つまり、昔からそのままの江戸 - 東京 - の文化を知らないものが多い(私もその一人ですが)。

もしかすると、京都と東京の違いはそのあたりにあるのかも知れないと思うのです。